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鈴木 祥子(すずき しょうこ、本名同じ、1965年8月21日 - )は、日本のシンガーソングライター。東京都大田区出身。東京都立城南高等学校(現東京都立六本木高等学校)卒業。血液型B型。 1988年9月21日にエピックソニーからデビュー。自身の音楽活動以外に、松田聖子、Wink、吉村由美(PUFFY)、他のアーティストへの楽曲提供も積極的に行っており、中でも小泉今日子に曲提供した「優しい雨」が、約95万枚のセールスを記録した。また、矢野顕子が鈴木の楽曲をカヴァー、鈴木も矢野顕子のアルバムに参加するなど、著名アーティスト達からも支持を集めている。GREAT3、PUFFY、奥田民生、草野マサムネ(スピッツ)、YUKI(元JUDY AND MARY)、佐藤竹善(シング・ライク・トーキング)らも事ある毎に鈴木祥子をフェイバリット・アーティストの筆頭に挙げており、。 デビュー当時からドラム、ピアノを演奏していたが、後にギターも演奏し、アルバムの曲では伴奏を鈴木一人で完成させているものもある。2000年発表の"Love, painful love" では、作詞、作曲、編曲、プロデュースをはじめ、収録曲全曲のドラムス、ギター、ベース、キーボード、ボーカル、コーラスなど総てのパートを一人で演奏している。 == 経歴 == *1978年 - 中学1年からクラシックピアノを習い始める。 *1982年 - 元SMOKY MEDICINEメンバーの藤井章司に師事し、本格的にドラムを習う。 *1983年 - ヤマハEastWestの地区大会でレディース部門・最優秀ドラマー賞を受賞。 *1986年 - 本格的にミュージシャン活動を開始する。原田真二&クライシスのライブツアーにキーボード、パーカッションとして参加。 *1987年 - ビートニクスのライブにコーラス、パーカッションで参加(デビュー前の高野寛や、大村憲司、後にプロデューサーとして有名になる小林武史らも参加していた)。また、小泉今日子のコンサートツアーにもパーカッション、キーボードで参加している。 *1988年 - 『夏はどこへ行った』(c/w『波の化石』)でエピックソニーからデビュー。 *1991年 - 当時編曲及びアルバムのプロデュースを担当していた菅原弘明と入籍。 *1998年 - ワーナーミュージック・ジャパンに移籍。移籍第一弾シングル『たしかめていてよ』リリース。 *2000年 - シングル『あたらしい愛の詩』のカップリング曲である『シュガーダディーベイビー』においてセルフプロデュースをはじめ、作詞作曲から全パートの演奏を一人で行う。これ以降、鈴木のスタイルとして全パート演奏が徐々に定着する。 *2007年 - 春、LIVE TOUR『SHO-CO-MOTION』14公演。全て違う編成のミュージシャンがサポート。 *2007年 - 2枚組ベストアルバム『SHO-CO-JOURNEY』をソニーミュージックダイレクトよりリリース。 *2009年 - ドキュメンタリー映画「無言歌」劇場公開。プロデューサー&プランナーは映画監督の井上春生。 *2011年 - ムーンライダーズの武川雅寛とユニット「クジラとショーコ」を結成。変名プロジェクト「シンディ&フォレストーンズ」活動開始。 Puffyへ「SWEET DROPS」を提供。 *2012年 - 7月に名前の表記を「鈴木祥子」から「鈴木しょうこ」と変更する。父方の祖母から命名された「笙子」、母方の祖母から命名された「祥子」という同じ名前を頂いた事に対し「名前の音を大切にしたい」との理由によるものであったが、その後11月に、「自分の思いのほか祥子、の名前が聴いてくださる方に親しまれていることを知り、混乱を避けるため」として、作品発表時およびライブでの表記は元の名義で行うと表明した。〔 鈴木しょうこオフィシャルサイト 、2012年11月9日の記述、2013年1月1日参照。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木祥子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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