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鈴木繁宗 : ミニ英和和英辞書
鈴木繁宗[すずき しげむね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

鈴木繁宗 : ウィキペディア日本語版
鈴木繁宗[すずき しげむね]

鈴木 繁宗(すずき しげむね、生没年不詳)は、戦国時代初期の武将穂積氏流・江梨鈴木氏の当主。官位兵庫助
伊勢盛時(北条早雲)伊豆討入りにいち早く呼応し、以降は伊豆衆21家のひとつの水軍武将として仕えた。
== 略歴 ==
鈴木繁宗は、江梨鈴木氏の当主で、先代の鈴木繁用の子。伊豆国江梨村の江梨城(鈴木氏館)を本拠に江梨五ヶ村を支配した。
明応2年(1493年)、内紛が波及した伊豆国内の混乱に乗じて、伊勢盛時(北条早雲)が伊豆国に討ち入り堀越御所を焼き滅ぼすと、鈴木繁宗は三津の松下氏や大見の三人衆らとともに堀越公方から離反していち早く馳せ参じ、足利茶々丸攻めに参加した〔永岡治『伊豆水軍物語』1982年。〕。その後は後北条氏配下の伊豆水軍(北条水軍)を率いる武将のひとりとして、伊豆衆21家のひとつに数えられた。また、江梨鈴木文書に「其郷(江梨)不入子細者、早雲寺殿様駿州石脇御座候時より申合」とあり、早雲の伊豆討ち入り前後の忠節により江梨郷が不入の特権を得ている。
『江梨航浦院開基鈴木氏歴世法名録』によると、明応7年(1498年)に発生した明応地震の際、江梨村にも津波が押し寄せて多くの庶人が海底に沈み、江梨鈴木氏の系図と財宝は家屋とともに流されたと記録されている。また、この津波で鈴木繁宗のが両眼を患ったため、航浦院の薬師如来に回復を祈ったところ完全に治癒したとされる。
跡を娘婿の鈴木繁朝が継いだ〔沼津史談会『沼津史談 第36号』。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木繁宗」の詳細全文を読む




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