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鈴木 美智子(すずき みちこ、8月28日生まれ)は、近畿を中心に活躍するタレント、パーソナリティ、エッセイスト、朗読家、ガラスアーチスト。アナ・トーク学院学院長。未婚。A型。身長156cm。体重57kg(2014年8月時点)。大阪市在住。 == 来歴 == 大阪市阿倍野区生まれ。兄弟は兄2人、弟1人の家庭で可愛がられて育つ。帝塚山学院出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪本部所属。いつどこで年齢を聞かれようと「永遠の28歳」と答えている。 1950年代半ば、帝塚山学院中学校でコーラス部と演劇部に入っていた。宝塚ファンで、「宝塚ファンコンテスト」(毎日放送ラジオ)に出演して、黄金賞ばかりとって黄金賞大会で宝塚劇場に出た。 神代錦など現役のタカラジェンヌとドラマをやったり、歌も歌ったりした。 松竹座の上にあった演劇研究所に通う。劇団「笑いの王国」(花登筺が立ち上げ、大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁らが参加)に出演。「頓馬天狗」や「番頭はんと丁稚どん」に娘役で出演。花登から「お金になる声をしてる」と言われる。 1963年11月23日、関西初のラジオ京都のサテライトスタジオで、アナウンサー、ディレクター、ミキサーと三役を一人でこなす世界初の職種ラジオスチュワーデスとして、マイクキャリアをスタート。第一声はケネディの暗殺を伝えた。四条烏丸の三和銀行の会議室で行われたオーディションには、当時の社長が紺色が好きであることをきき、紺の横縞の半袖のセーターに紺のセーターを着て紺のタイトスカートをはいて受け、約1200人の中から選ばれる。その服は今でも、虫に食われないようにして、大事に保管している。人事部長と東京の雷門のサテスタ、銀座のサテスタで研修を受ける。フリーになった後は、他の放送局でサテライトスタジオができる時、呼ばれて稼ぎに行った。放送局のスト破りにも技術をしに行った。MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」の相手役を20年間担当した(浜村からは「美智子ねえさん」と言われていた)のをはじめ、多くのテレビ、ラジオ番組のレギュラーを務める。 趣味はシャンソンと名取の資格も持っている都々逸、姓名判断。座右の銘は「目標あればいつも青春」。まだ独身である。特技は「お嫁に行くこと」(シャンソン)である。好きな言葉は「満期」。好きな芸能人はアンダルシアの伊藤英明と片岡愛之助。ラッキーカラーはピンク。卵黄アレルギー(白味は食べられる)。 最近は講演、司会のほか、都々逸を交えての放談、落語(高座名・鈴々亭ちりん)、朗読ミュージカルなどの新境地を開いている。また、吉本興業系列の吉本音楽出版が行っている「アナ・トーク学院」の学院長を務め、アナウンサー・タレントの後進の指導や、関西各地のよみうり文化センターで朗読ライブ講座の講師を務めている。ABC所属のアナウンサー高橋大作はアナ・トーク学院の第一期生である。小篠綾子は鈴木の朗読教室に92歳まで来ていた。現在元OSKのトップスター桜花昇ぼるもレッスンを受けている。 2006年、繁昌亭盛り上げに本塗りの真っ赤な人力車を寄贈〔、asahi.com:寄席復活(上) 赤い人力車 「四天王」の魂刻む - 落語 - 文化芸能 〕。人力車は静岡県伊東市の工房で製作。人力車に名前は書いていないが、鈴を付けている。2005年秋、落語会終了後の宴席で、上方落語協会会長の桂三枝(当時)が「繁昌亭」盛り上げの趣向に、赤い人力車の復活を考えていると話すのを聞く。父親を99歳で亡くしたばかりの鈴木は、父親の遺産で赤い人力車を贈れば、世の中のためにと働いていた父親の思いも活かせると考えて寄付。父親の遺産でプレゼントしたから、父親だと思って会いに行っている。「いつも内緒で 落ち合う場所は 人力車前 繁昌亭」と詠んでいる。 鈴木美智子、小山乃里子、浅川美智子はラジオ界を「さんばばトリオ」といって牛耳っていた時代があった。 1年で3回手術を経験。フリーでずっとやってきたが、病気をしてスケジュールの調整で吉本に入る。 赤井英和と小学校(大阪市立金塚小学校)が一緒で、赤井の母親と兄は鈴木の家に天神祭の時よく花火を見に来ている。 謡は福王和幸に師事。 都々逸は、柳家三亀松、江利チエミ、美空ひばりを聴いて自己流で会得した。 若い頃、日本舞踊花柳流を花柳伊十輔(はなやぎ いそすけ)に師事したが、腕が長いためかポーズが決まらず、あきらめた。藤山直美と師匠が一緒だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木美智子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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