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鈴木 英夫(すずき ひでお、1916年5月10日 - 2002年5月2日)は、日本の映画監督。愛知県蒲郡市出身。スリラーとサスペンスの名手とされ、最晩年に再評価された。 == 来歴 == 1916年(大正5年)5月10日、現在の愛知県蒲郡市に生まれる。家業の船舶運送業を継ぐべく進学するが、映画好きが昂じて、日本大学藝術学部に入学。23歳になる1939年(昭和14年)、卒業と同時に豊田四郎の遠縁を頼って新興キネマ東京撮影所の助監督部に入社し、東宝を経て、大映東京撮影所に移籍。 1941年(昭和16年)、助監督の身分で舟橋聖一の原作を脚色した『母代』が、師匠である田中重雄監督の手によって映画化され、評判になる。1947年(昭和22年)、大映の監督部に昇進し、自作のシナリオを映画化した『二人で見る星』で監督デビュー。つづく『蜘蛛の街』では、初のサスペンス映画を手掛け、一躍大映東京撮影所のホープに躍り出る。同作品は、下山事件にヒントを得て、低予算を逆手にとって、ノースター、街頭ロケや隠し撮りを多用したリアリズム・タッチの演出が斬新であった。38歳を迎える1954年(昭和29年)、東宝に再移籍。同社の中堅監督として文芸ものや喜劇など、あらゆるジャンルをこなすが、その本領は主にスリラーとサスペンスものに発揮された。1962年、広告代理店で働く女性を主人公にした『その場所に女ありて』でサンパウロ映画祭審査員特別賞受賞。1967年の『爆笑野郎・大事件』を最後に、51歳にして映画からテレビ映画に仕事の場を移し、100本以上のドラマを量産した。『傷だらけの天使』(1974年 - 1975年)など、今なおカルトな人気を誇る作品を残している。 劇場用映画の監督としてのキャリアを脱して30年が過ぎ、80代を迎えようとしていた1990年代、三軒茶屋amsで特集上映が行なわれたのを嚆矢として、続々と東京都内を中心にして特集上映が行われ、再評価の機運が高まった。 2002年(平成14年)5月2日、誕生日を前にして死去。85歳没。直前に計画されていたアテネフランセ文化センターでの特集上映が結局追悼上映会になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木英夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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