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鈴木 虎雄(すずき とらお、1878年〈明治11年〉1月18日 - 1963年〈昭和38年〉1月20日)は、古典中国文学者。新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。 ==人物== 父は長善館二代館主鈴木惕軒で、その八男(戸籍上は五男)。一時大橋家の養子となり、大橋姓を称したが、後に鈴木姓に復した。甥には岩手県知事(官選)を務めた鈴木脩蔵がいる。妻は陸羯南次女・鶴代で、岳父羯南の著作や詩を収めた文集『羯南文録』(大日社、1938年)を編んでいる。 幼少時は長善館で父惕軒に師事する。上京後、東京英語学校、東京府尋常中学、第一高等中学校で学び、1900年(明治33年)、東京帝国大学文科大学漢学科卒業。日本新聞社、台湾日日新報社、東京高等師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)講師・教授などを経て、1908年(明治41年)に新設間もない京都帝国大学文科大学助教授に就任する。1919年(大正8年)には教授、1938年(昭和13年)に名誉教授。1939年(昭和14年)より帝国学士院会員。1958年(昭和33年)に文化功労者、1961年(昭和36年)に文化勲章受章。 日本における中国文学・文化研究(中国学)の創始者の一人で、東洋学における京都学派の発足にも寄与した、著名な弟子に吉川幸次郎と小川環樹らがいる。多くの古典漢詩を訳解を著述し、自身も漢詩を多く作成した。号を漢詩では豹軒、和歌では葯房と称し「豹軒詩紗」、「葯房主人歌草」などがある。 新聞『日本』では「葯房漫艸」を連載し、病に倒れた正岡子規に代わり短歌撰者を務めた。 晩年には『良寛全集』(東郷豊治編、東京創元社、初版1957年、読売文学賞受賞)の漢詩校閲を行い、最晩年(1962年)に、私家版で父の詩文集『鈴木惕軒先生年譜』を編んでいる。 追悼文集に『名誉町民 豹軒鈴木虎雄先生』(吉田町教育委員会刊、非売品、1964年)。 生涯にわたり収集した、漢籍を軸とする約14,000冊の旧蔵書は、京都大学文学部図書室に収蔵され、蔵書目録が発刊されている(鈴木文庫目録 正・続編, 1956-68年)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木虎雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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