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鈴木 裕紀(すずき ゆきのり、1977年5月27日-)は、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロバスケットボール選手、指導者である。2001年に新潟アルビレックスに入団しプロ選手となる。2005年にはbjリーグの大分ヒートデビルズに移籍し、最高3ポイントシュート成功率を2度獲得、ベストファイブにも1度選ばれた。 2011年に引退すると同時に大分のヘッドコーチに就任。bjリーグ 2014-15シーズンまで指揮を執った後、bjリーグ 2015-16シーズンより金沢武士団のヘッドコーチとなる。 == 来歴 == 5歳の時にバスケットボールを始める。名瀬中学校を卒業後、湘南工科大附属高校に進学。高校卒業後は日本体育大学に入学。ユニバーシアード日本代表にも選ばれた。 大学卒業後、当時JBL1部リーグだった大和証券に内定していたが、大和証券の休部に伴うチーム譲渡により新潟アルビレックス(後の新潟アルビレックスBB)に入団する。新潟では貴重な控え選手として存在感を見せていたが、同じポジションに庄司和広らがいたため、レギュラー選手としての出場機会は多くなかった。 2005年、新潟が中心となって発足したbjリーグのドラフト会議においては、新潟のプロテクト選手枠から漏れたが、大分ヒートデビルズから2巡目(全体第10位)指名を受けて入団するとともに、初代キャプテンに就任した。 迎えたbjリーグ初年度・2005-2006シーズン。前半戦は低迷していた大分だが、桶谷大ヘッドコーチ代行(後にヘッドコーチ昇格)が指揮を執ることになった後半戦にプレイオフ進出争いを演じた。最後は息切れして5位に終わりプレーオフ進出はならなかったが、自身はリーグ日本人選手最多の1227分に出場するとともに3ポイントシュート成功率1位を記録し、日本人選手で唯一のベスト5に選出された。 2006-07シーズン、チームは3位に躍進。 2007-08シーズンにも2度目の3ポイント王を獲得。 2011年7月、現役を引退して大分ヒートデビルズのヘッドコーチに就任した。 bjリーグ 2014-15シーズン終了とともに大分のヘッドコーチを退任し、bjリーグ 2015-16シーズンより新規に参入する金沢武士団の、初代ヘッドコーチに就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木裕紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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