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鈴木道雄(すずきみちお、1887年2月18日 - 1982年10月27日 )は、日本の大工、発明家、エンジニア、実業家。元自動車メーカースズキの代表取締役会長兼社長である。 ==来歴・人物== *1887(明治20)年2月18日農家32戸の農村である靜岡縣濱名郡芳川村(現在の浜松市南区鼠野町)の農家の次男として誕生した。 *学問の神と讃えられる「菅原道真」の字をとって「道雄」と名付けられた。7~8歳になった頃から両親の手伝いで綿摘みをし、機織の音を聞きながら育った。 *生まれ付き器用だった道雄は、14歳のとき請負師(現在で言う一級建築士と大工の棟梁の兼務)になろうと決心し、今村幸太郎親方の下に弟子入りして7年間修業した。 *厳しい指導で知られた今村親方の下で修業に専念するも、修業を始めた3年目の17歳の時に日露戦争が勃発した。 *戦争の影響で建築の仕事が殆ど無い中、親方の業種転換に伴い、道雄も織機製作の知識と技術を習得することになる。(師匠の今村は、当時の主要輸出品だった繊維業に目を向け、足踏織機の製作に転向した。) *1908(明治41)年に修業を終えた21歳の道雄は、足踏織機の需要が高まっていることに着目し自ら織機を製作した。これが後の鈴木式織機製作所創業の礎となる。 *浜名郡天神町村字上中島上新田に借り受けた土地に生家から貰い受けた二階建ての蚕室を移築し工場として改築、ここを拠点に事業を開始した。 *身長が徴兵検査の規定に満たなかったことから、第二次補充兵に編入されたことも幸いして事業に専念する事が出来た。数日を費やして1台の木鉄混成の足踏織機第1号を完成させ、実母のマチに贈った。 *1909(明治42)年スズキの母体となる鈴木式織機製作所を創業する。鈴木式織機の発明など、特許・実用新案は120件余りに上る。織機を製造だけでは満足出来ず、新分野への進出を夢見ていた。 *自動車開発にも取り組み、1936(昭和11)年試作車を完成させたが、戦争のため研究と開発が中断するも、戦後に開発を再開する。後にオートバイの開発も行い、パワーフリー号、ダイヤモンドフリー号、コレダ号とオートバイ製造を進め人気を博した。 *戦後に再開した軽4輪の開発は、1954(昭和29)年試作車を完成させた。同年鈴木自動車工業株式会社に社名変更し、翌年1955(昭和30)年に軽四輪「スズライト」を発表した。後に鈴木俊三(2代目社長)に社長職を譲り、1982(昭和57)年に逝去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木道雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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