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鈴木重時 : ミニ英和和英辞書
鈴木重時[すずき しげとき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 

鈴木重時 : ウィキペディア日本語版
鈴木重時[すずき しげとき]

鈴木 重時(すずき しげとき、享禄元年(1528年)? − 永禄12年2月5日1569年2月20日))は、戦国時代武将三河鈴木氏酒呑系、鈴木重勝の子。鈴木重好の父。通称、三郎大夫。正室は奥山因幡守の娘。
永禄11年(1568年)、遠州への侵攻を画策する徳川家康に加担した娘婿・菅沼忠久から今川離反の誘いを受け、承諾。これに近藤康用も加わった3人が井伊谷三人衆と呼ばれる事となる。
その家康による遠州制圧戦は同11年末から行われ、徳川軍は遠州で越年。曳馬城攻略を最優先としていたため、浜名湖沿岸の諸城攻略が後回しとなっていた。
同12年(1569年)、家康の下命を受けて堀江城を攻めた。だが、守将・大沢基胤率いる城兵は意気盛んで、なかなか抜けない。そればかりか、城方による反撃を許し、手痛い損害を少なからず受けた。
この時、近藤康用の子登助(近藤秀用)と競い城門にたどり着いた三郎大夫重時は、城方の攻撃を受けて命を落とした。一説に42歳と伝える。戒名は、法福院殿清輝順光大禅定門。
子の重好は、井伊直政に付けられた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木重時」の詳細全文を読む




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