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鉄労 : ミニ英和和英辞書
鉄労[てつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [ろう]
  1. (n,vs) labor 2. labour 3. toil 4. trouble 5. striving 6. putting (someone) to work 7. thanking (someone for their efforts) 8. comforting 

鉄労 ( リダイレクト:鉄道労働組合 ) : ウィキペディア日本語版
鉄道労働組合[てつどうろうどうくみあい]
鉄道労働組合(てつどうろうどうくみあい、通称:「鉄労」)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)の時代に存在した労働組合全日本労働総同盟(同盟)の有力組合で、ストライキを行わない労使協調が特色となっていた。現在は直接の後継ではないが、JR連合が実質的に鉄労の路線を受け継いでいる。
==経歴==
1957年に前年から続いた公共企業体等労働組合協議会(公労協)の処分撤回闘争に国鉄労働組合(国労)と日本国有鉄道機関車労働組合(機労・後の国鉄動力車労働組合=動労)も参加したが、この際国労本部の意向を無視して国労新潟地方本部がを抜き打ちストや駅長など幹部職員への吊し上げ(新潟闘争)を起こし、乗客や荷主を巻き込む格好で事態が泥沼化した。
これを切っ掛けとして、新潟地本の急進的な闘争方針に批判的な非現業系の事務職員を中心とした組合員が国労を脱退し、新たに国鉄新潟地方労働組合を結成。この動きは全国各地に広まり、一般事務職・運輸・工作と職能毎に新労組を組織化し同年11月27日国鉄職能別労組連合会(国鉄職能労連)を発足させた。これに加えて1959年に社会党の最右派が離脱して民主社会党を結成すると、予てから関係が深かった国鉄労組民主化同盟(新生民同・民同右派)も「完全野党」を宣言し多くの組合員が国労から脱退。大阪金沢東京など地域毎に労働組合を組織化し、先に独自に活動していた新潟地方労組と共に1961年9月17日国鉄地方労組総連合会(国鉄地方総連)を結成するに至った。
やがて職能労連と地方総連は、国鉄当局との労使協調全日本労働組合会議(全労)支持・反国労で共通していたことから、1962年11月30日新国鉄労働組合連合(新国労)として統合。当初は国鉄内での地域・職域労組の連合体だったが、1968年10月20日に単一組織化され鉄道労働組合(鉄労)と改称している。
発足した時の経緯から、国労や動労などが相対的には政治主義及び戦闘的方針を基本としていた〔ただし、葛西敬之の一連の著書や秋山謙祐『語られなかった敗者の国鉄改革』などによれば、国労、動労共に一枚岩ではなく、穏健な考えが主流であったのが、徐々に教条的で戦闘的な若手に取って代わられて行き、それがまた労働運動を激化させる要因の一つであったことを述べている。〕のに対し、鉄労は経済主義・国鉄本局との協調主義をとった。特に、鉄労が発足するきっかけとなった新潟鉄道管理局においては組織率が高く、他の地域で国労・動労による春闘のストライキや順法闘争が実施されている時でも、新潟県内では通勤列車の一部などが正常に動いていることもあったとされている。また、私鉄との競争が激しい関西圏大阪鉄道管理局でも、鉄労の組織率は比較的高かった。国鉄全体では動労とほぼ同じ程度の組織率、12~13%程度であったと言う〔葛西敬之『国鉄改革の真実』。なお、葛西は『未完の国鉄改革』にて仙台、新潟、大阪を鉄労御三家と呼ばれていたと書いている。仙台鉄道管理局管内は国労と規模で拮抗し、他2局では鉄労が国労を上回っていた。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鉄道労働組合」の詳細全文を読む




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