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鉄砲伝来(てっぽうでんらい)とは、16世紀にヨーロッパから東アジアへ火縄銃型の鉄砲が伝わったこと、狭義には日本の種子島に伝来した事件を指す。鉄砲現物のほか、その製造技術や射撃法なども伝わった。年代については1542年説やそれ以前とする説など諸説ある。 「鉄砲」とは日本においてはじめは火縄銃をさす言葉として使われ、後に小銃から大砲まで火器一般を意味する名称となった。 == 種子島以前 == === 天文以前東アジア式火器伝来説 === 種子島以前の鉄砲伝来については長沼賢海の鉄砲研究をはじめ、諸説ある。長沼は『日本文化史之研究』(教育研究会、1937年)をはじめとする重要な研究を残したが、現在九州大学に保存される蒐集史料(写本)「神器秘訣」「菅流大蜂窼」「鳥銃記」「異艟舩法火攻泉之巻」といった砲術書の研究は今後の課題である〔荒木和憲「九州帝国大学教授長沼賢海氏の「鉄砲」研究―九州大学九州文化史研究所所蔵「長沼文庫」の紹介をかねて―」文部科学省特定領域研究:東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成 第9回講演会「火器技術から見た海域アジア」、九州大学、2006年 〕。 長沼は海外文化の「消化」「征服」を「国民性」「民族性」とする日本人が積極的に鉄砲を導入しなかったはずがないという前提のもとに、火薬の爆発力で何らかの物体をとばす器械をすべて「鉄砲」とみなしたうえで(鉄砲=小銃とする一般的理解とは異なる)、「天文以前」(1543年以前)に中国―琉球ルートおよび朝鮮ルートで中国式銃・朝鮮式銃が伝来したことを主張した。また、「鉄砲記」の記述の信頼性を批判し、西洋式小銃の伝来経路が種子島だけではないことを主張した。長沼のこうした見解には批判もあったが、「天文以前東アジア式火器伝来説」には支持者もいる〔春名徹ら。〕。 東アジアから東南アジアにおいて、15世紀には中国の明が海禁政策を行い、また日本の室町幕府との日明貿易(勘合貿易)が途絶した事などにより倭寇(後期倭寇)による私貿易、密貿易が活発になっていた。日本や琉球王国においても原始的な火器は使用されていて、火器は倭寇勢力等により日本へも持ち込まれていた可能性を指摘するむきも多い。 ほかにも、鉄砲の伝来は、初期の火縄銃の形式が東南アジアの加圧式火鋏を持った鳥銃に似ている事や東南アジアにおいても先行して火縄銃が使われていた事などから、種子島への鉄砲伝来に代表されるようなヨーロッパからの直接経由でなく倭寇などの密貿易によって東南アジア方面から持ち込まれたとする宇田川武久らの説がある〔宇田川武久『真説鉄砲伝来』平凡社、2006年〕。しかし欧米や日本の研究者の中には、欧州の瞬発式メカが日本に伝えられて改良発展したものが、オランダによって日本から買い付けられて東南アジアに輸出され、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったとする説をとる者も少なくなく、宇田川説を否定的にみる意見も多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鉄砲伝来」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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