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鉢の木会(はちのきかい)は、戦後日本で展開された“戦後派”作家・評論家による集いで、メンバーは中村光夫・大岡昇平・福田恆存・吉田健一・三島由紀夫・吉川逸治・神西清。 当初は1949年(昭和24年)頃、中村、吉田、福田の3人が「無理をしてでも月1回、友達だけで集まり、どんなに高級な議論を戦わしても、低劣な巷話に耽っても、商売のことだけは触れない会」を持つようになったのが始まりである。謡曲『鉢の木』から、終戦直後でご馳走の調達もままならず、丹精の鉢の木を焚いてでも客をもてなす、ということを目指し、この会は〈鉢の木会〉と名付けられ、後に吉川、三島、神西、大岡も加わり、大いに語り合う場となった。 ともすれば、寝食を忘れてでも仕事に明け暮れてしまう当時の風潮(戦後復興の最中)へのささやかな反抗でもあったという。なお、中村光夫の句に「鉢の木の燃え残りたる夜寒かな」がある。 ただ神西は、ロシア文学者として「アントン・チェーホフ全集」の個人完訳を進めていたが、1957年に病没した(弟子の池田健太郎や友人たちが訳・解説を継ぎ、1960年より中央公論社で刊行された)。 鉢の木会メンバーが編集人となり、1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)にかけて、丸善を発行元に大判の季刊文芸誌『聲』(全10号)を出した。江藤淳の「小林秀雄」や澁澤龍彦の短編創作「陽物神譚」、山本健吉「柿本人麻呂」などが掲載され、錚々たる執筆陣と(書き手にとっても代表作となった)充実した内容、加えて篠田一士ら当時若手の外国文学研究者による海外文学紹介もあり、大いに話題・啓発を呼んだ。 == 紛争 == 一番年少の三島にとっても先輩格に当たるこれらの面々から、会の一員として迎えられたことは大きな自信になった。だがメンバーの一人、。三島は吉田から酷評された長編『鏡子の家』に続いて、有田八郎元外相をモデルにした『宴のあと』を書き、有田側からプライバシー侵害で訴えられていた。当初吉田健一は、父吉田茂元首相・外相の人脈で仲裁しようとしたが、結局三島を裏切り有田側に立つ発言を行い、2人は決別した。三島と中村はその後も共著を出すなど、各個人同士での交流はあったが、やがて三島と大岡がそれぞれ、演劇活動、言論活動をめぐって、福田とすれ違うようになったこともあり、集いは自然消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鉢の木会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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