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銀丁百貨店(ぎんちょうひゃっかてん)は、熊本県熊本市にあった日本の百貨店である。 == 歴史・概要 == 1930年(昭和5年)10月11日に〔くまもと女性史研究会 『くまもとの女性史 第1巻』 熊本日日新聞情報文化センター、2000年3月。ISBN 978-4877550820〕京都の時計商だった鈴木弥三郎が熊本県熊本市の新市街の一角に鉄筋コンクリート3階建ての店舗を建設して銀丁百貨店として本格的な百貨店を開業したのが始まりである。 食堂などが人気を集めて「味の銀丁」と言われていたほか、子供遊園地や屋上庭園なども備えていた〔。 やや先行して開業していた1927年(昭和2年)1月に開店した「いずみや百貨店」などのライバルを凌ぎ、1906年(明治39年)に開業した熊本県内初の本格的な百貨店であった「千徳百貨店」と共に第二次世界大戦前は熊本の2大百貨店として多くの買い物客を集めていた。 しかし、第二次世界大戦後は中央紡績社長だった池田重利が一時経営した後〔、昭和20年代中頃に開業して非常な勢いで勢力を伸ばして鶴屋百貨店と共に新たに2大百貨店と呼ばれるようになった戦後創業の大洋デパートの傘下に入り〔、戦前の最大のライバルだった千徳百貨店が1955年(昭和30年)7月に倒産した後も営業を続けたが、1973年(昭和48年)11月29日に日本では最大の百貨店火災事件となった大洋デパート火災が発生した影響で大洋デパートが1976年(昭和51年)10月に会社更生法の適用を申請して破綻した影響で解散に追い込まれ〔、その歴史に終止符を打った。 なお、店頭で製造・販売する「銀丁饅頭」も人気を博していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銀丁百貨店」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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