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銀元(ぎんげん)とは、1933年に中華民国国民政府によって導入された通貨単位(ただし、通貨としての銀元は1890年に清が対外決済用に発行した銀貨に由来する)。従来の銀両(テール)に替わって採用された。正式な名称は「(銀)圓(円)」であるが、字画が多いために同音字である「(銀)元」が代用されて広く定着するようになった。 == 銀錠・銀両 == 中国では昔から銅銭が法定通貨とされてきたが、銅銭の不足と経済の発達によって銅銭が不足(銭荒)となり、宋元以後には紙幣や銀(銀地金や銀製品)が通貨の替わりに用いられるようになり、明清においても銅銭は鋳造され続けたものの、実際には銀が通貨の主導的な地位を占めるようになった。ただし、明王朝は銀貨の鋳造を行わなかったために実際に銀を通貨として用いる場合には、銀錠と呼ばれる銀の固形が秤量貨幣として用いられ、銀の重量がそのまま価値として認められていた。すなわち、両を基本的な単位として10分の1を銭、更にその10分の1を分とする重量体系がそのまま貨幣の単位として採用されていたのである。一方、大航海時代以後、スペイン(植民地メキシコを含む)などの海外の銀貨(洋銀)が大量に中国に流入し、中国既存の銀地金・銀製品と同様に秤量貨幣として扱われた。この傾向はアヘン戦争以後に一層拍車がかかった。当時の代表的なものとしては、スペインのスペイン・カルロス・ドル(本洋)、メキシコのメキシコ・ドル(鷹洋)、アメリカの米国貿易銀(美国洋)、日本明治政府の貿易銀(日本竜洋)、イギリス領香港の香港ドル(香港鋳造の香洋とイギリス鋳造の站人洋がある)、フランス領インドシナのピアストル(安南洋)などが知られていた。 一方、清でも1792年にチベット限定で出された乾隆宝蔵をはじめとして台湾・福建など辺境の地域での銀貨発行の事例はあったものの、中国本土においては1890年に張之洞の提言によって広東造幣廠が建設され、清は日本と同様に「圓」を単位とした銀圓(銀元、以下「銀元」と用いる)銀貨「光緒元宝」発行に踏み切ったがこれは貿易用の計数貨幣(洋銀に合わせて、1枚=0.724両・品位902と定められていた)であり、国内においては貨幣価値の決定権を握っていたのは依然として各地に存在していた銭荘と呼ばれる両替商と彼らによる牙行であった。彼らは地域で通用する銀錠への交換(手持ちの銀地金や他地域の銀錠・銀貨からの改鋳を含む)の際に徴収する手数料から得られる収益を経営の基盤としていたために、交換手数料の廃止につながる統一的な計数貨幣の発行には強く反対していたのである。その後、1910年に幣制則例(0.72両・品位900の「大清銀幣」の発行)、辛亥革命後の1914年に国幣条例(0.72両・品位900・純銀含有23.97gの俗称「袁世凱像幣」の発行、ただし実際は品位890・純銀含有23.61gにとどまる)を出して国内でも通用する通貨改革を行おうとしたが、辛亥革命以後も中国国内においては大きな変化は見られなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銀元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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