翻訳と辞書
Words near each other
・ 銀河鉄道物語の車両 その他
・ 銀河鉄道物語の非戦闘列車
・ 銀河鉄道物語~永遠への分岐点~
・ 銀河銀河団カタログ
・ 銀河銭湯パンタくん
・ 銀河間塵
・ 銀河間星
・ 銀河間航行
・ 銀河面
・ 銀河面吸収帯
銀河館
・ 銀河高原ビール
・ 銀治
・ 銀泉
・ 銀泉郡
・ 銀波
・ 銀波川
・ 銀波浦
・ 銀波郡
・ 銀波駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

銀河館 : ミニ英和和英辞書
銀河館[ぎんが]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぎん, しろがね]
 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
銀河 : [ぎんが]
 【名詞】 1. Milky Way 2. galaxy 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin

銀河館 ( リダイレクト:愛光商会#吉浜寮 ) : ウィキペディア日本語版
愛光商会[あいこうしょうかい]

株式会社愛光商会(あいこうしょうかい)は、かつて存在した日本の映画用写真用フィルム等の商社である〔時事, p.187.〕〔時事, p..〕。ボルタ判フィルムライトパン」で知られる〔懐かしのマミヤマミーとボルタ判フィルム 伊豆新聞社、2013年4月19日閲覧。〕。同社がかつて所有していた「愛光商会吉浜寮」(あいこうしょうかいよしはまりょう)は2006年に国の登録有形文化財(建造物)に登録された〔''愛光商会吉浜寮''文化遺産オンライン文化庁、2013年4月19日閲覧。〕〔銀河館 、今田美奈子食卓芸術サロン、2013年4月19日閲覧。〕。
== 沿革 ==

1939年昭和14年)1月5日今田冨雄が設立した〔。同社と関係が深かった富士写真フイルム(現在の富士フイルム)は、同社創立に先立つ1934年(昭和9年)2月に足柄工場(現在の神奈川工場足柄サイト)、1938年(昭和13年)6月に小田原工場(現在の神奈川工場小田原サイト)を操業開始している〔富士フイルムグループの歴史 富士フイルムホールディングス、2013年4月19日閲覧。〕。
第二次世界大戦後、今田冨雄は、かつて関東大震災後に解体された東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の一部を神奈川県足柄下郡吉浜町(現在の同県同郡湯河原町吉浜)に移築した土田卯三郎別荘を入手、ここに居住し、長女・今田美奈子(1935年 - )の回想によれば同所から函嶺白百合学園中学校・高等学校に通ったという〔。これが「愛光商会吉浜寮」で、1958年(昭和33年)に発行された『映画年鑑 1958』によれば、今田冨雄の住所は「神奈川県湯河原町吉浜」とされている〔時事, p.820.〕。
当時の本社屋は、東京都港区芝新桜田町13番地(のちの芝田村町1丁目6番地、現在の同区西新橋1丁目6番15号)に置かれていた〔時事, p.224.〕〔時事, p.282.〕。1959年(昭和34年)ころの同社の資本金は2,000万円であり、「研究所」を世田谷区下馬町2丁目6番地(現在の同区下馬6丁目36番12号)に置いていた〔時事, p.585.〕。『映画年鑑 1965』によれば、当時は、富士写真フイルム特約店であったが〔時事, p.18, 385.〕、いわゆる「四特」(浅沼商会近江屋写真用品樫村美スズ産業)ではなかった。
1961年(昭和36年)7月16日に「目黒スタジオ」として知られる、目黒区下目黒東京録音現像の創業社長・金井喜一郎が死去、後任社長に今田冨雄、取締役に今田潔が就任している〔時事, p.136.〕。1974年(昭和49年)、同スタジオは閉鎖され〔佐藤, p.323.〕、同年4月、同社の営業部長と技術者たちはスピンアウトし、同区東山ニューメグロスタジオを設立している〔時事, p.207.〕。
同年、今田潔が二代目代表取締役社長、今田政子が代表取締役に就任する〔。この時期には「アイコーカラーフイルム」「ライトパンフイルム」の販売のほか、ホテル事業も行っていた〔。アグフア・ゲバルトの開発したフィルムサイズである「」用のフィルム「ライトパンカラーII ラピッド」は、日本製の最後の同判フィルムとして、1983年(昭和58年)まで販売した〔。1986年(昭和61年)9月、三井建設の設計施工により、従来本社を置いた地に地上10階の本社屋(西新橋愛光ビルディング)を竣工する〔西新橋愛光ビルディング 、三井不動産、2013年4月19日閲覧。〕〔ビル年鑑新橋編パート5 週刊ビル経営、2006年2月7日付、2013年4月19日閲覧。〕。
1993年(平成5年)、今田康晴が三代目代表取締役社長に就任、このころには写真用フィルム「ライトパン」の発売元であるほか、電子スチルビデオ映像やプロモーションビデオの企画製作、写真アルバムの輸入販売、不動産賃貸等を営業品目に挙げていた〔。ボルタ判フィルム「ライトパンSS」は、他社が製造販売を中止した後も、1996年(平成8年)まで販売をつづけた〔。2000年代に入ると、16枚撮りの135フィルム「ライトパンSS 135 16EX」のみに商品を絞り、最終的にはフィルム販売を終了した〔。矢野経済研究所が1999年(平成11年)に発行した『日本マーケットシェア事典 1999』によれば、サクラカラーパックコニカ(合併して現在のコニカミノルタホールディングス)から調達しているように、同社は富士フイルムから供給を受けたフィルムの「二次加工」を行って、商品を販売していた〔矢野〕。他項にもあるとおり、富士フイルムにない少枚数(10枚撮りや16枚撮りなど)の製品や、富士フイルムが製造中止した規格の製品などに特徴があった。
2006年(平成18年)3月2日、「愛光商会吉浜寮」が国の登録有形文化財(建造物)に登録された〔。同建築物は、現在、今田美奈子が所有している〔。同社は、愛光インベストメント株式会社(代表今田康晴、貸事務所業)に社名と業務内容を変更した後は、かつての「研究所」の所在地に存在したが、2010年(平成22年)に三井不動産の連結子会社となって〔平成22年3月期 決算短信 三井不動産、2013年4月19日閲覧。〕中央区日本橋室町3丁目に所在地移転した〔愛光インベストメント 帝国データバンク、2013年4月19日閲覧。〕。かつて同社本社が所在した西新橋愛光ビルディングは、2013年(平成25年)現在、三井不動産が所有、三井不動産ビルマネジメントが管理している〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「愛光商会」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.