翻訳と辞書
Words near each other
・ 銀鉱
・ 銀鉱石
・ 銀銭
・ 銀錠
・ 銀錯銘大刀
・ 銀鏡反応
・ 銀鏡軌道
・ 銀鑞
・ 銀閃の風
・ 銀閣
銀閣寺
・ 銀雀山漢簡
・ 銀雨
・ 銀面
・ 銀食器
・ 銀髪
・ 銀髪鬼
・ 銀鬼
・ 銀魂
・ 銀魂 (アニメ)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

銀閣寺 : ミニ英和和英辞書
銀閣寺[ぎんかくじ]
(n) temple in Kyoto
===========================
: [ぎん, しろがね]
 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
銀閣寺 : [ぎんかくじ]
 (n) temple in Kyoto
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
銀閣寺 ( リダイレクト:慈照寺 ) : ウィキペディア日本語版
慈照寺[じしょうじ]

慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
室町幕府8代将軍足利義政鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。
山号東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という。
== 歴史 ==
室町幕府8代将軍足利義政は文明5年(1473年)に子の足利義尚に将軍職を譲り、 文明14年(1482年)から東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。
当時は応仁の乱が終了した直後であり、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である文明15年(1483年)にはここに移り住んでいた。東山殿には会所常御所、釣秋亭、竜背橋、泉殿、西指庵、漱せん亭、超然亭などの大規模な建物が建ち、義政の祖父・3代将軍足利義満が建てた北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能ももっていた。ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。
延徳2年(1490年)2月、同年1月に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。
戦国時代中期の天文19年(1550年)には12代将軍足利義晴義輝父子により慈照寺の裏山に中尾城が築かれ(短期間で廃城)〔今谷、P154 - P160〕、末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺6世の陽山瑞暉が前久の弟だったことによる〔(村上、1977)、p.116〕。前久の薨去後の法名は東求院龍山空誉であった。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。
昭和27年(1952年3月29日には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定された。平成6年(1994年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「慈照寺」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ginkaku-ji 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.