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銚子セントラル(ちょうしセントラル、1958年 開館 - 2007年2月2日 閉館)は、かつて存在した日本の映画館である〔銚子セントラル(「港町キネマ通り」、2010年11月15日閲覧。)〕。銚子中央映画劇場(ちょうしちゅうおうえいがげきじょう)として開館、のちの館名に改名して以降も、閉館まで一貫して洋画系興行専門のロードショー館であった〔〔『映画年鑑 1960』、時事映画通信社、1959年12月1日、p.41.〕。 == 略歴・概要 == 1958年(昭和33年)、銚子中央映画劇場として、千葉県銚子市末広町4-281(現在の同県同市同町5-12)に開館する〔〔。木造1階建、内部の繰り返しながら、閉館まで開業時と同一の建物であった〔〔〔『映画館名簿 1997』、『映画年鑑 1997年版』付録、編集日本映画製作者連盟配給部会、発行時事映画通信社、1996年12月1日、p.43.〕。当時同市内に同館のほか、銚子東映(のちの銚子マリン1・2、現存せず)、銚子日活(かつての銚子座、同)、銚子映画劇場(のちの銚子ヱイゲキ、同)の4館を柏木興行が経営していた〔。1960年(昭和35年)には、同市内にほかにも、銚子富士館(現存せず)、銚盛館(同)、銚子大映(同)、銚子演芸館(同)の8館が存在した〔。 1970年(昭和45年)前後のある時期に、銚子セントラルと改称する。1976年(昭和51年)ころには、同市内の映画館は、同館のほか、銚子日活、銚子映画劇場、銚子東映、銚子大映の5館になっていた〔『映画年鑑 1976』、時事映画通信社、1975年12月1日、p.56.〕。 1982年(昭和57年)ころには、同市内の映画館は、同館のほか、銚子映画劇場、銚子東映、テアトル銚子(以上経営は柏木興行)、銚子大映の5館になっていた〔『映画年鑑 1982』、時事映画通信社、1981年12月1日、p.44.〕。 1999年(平成11年)ころの客席数は、323席であった〔〔『映画館名簿 1999』、『映画年鑑 1999年版』付録、編集日本映画製作者連盟配給部会、発行時事映画通信社、1998年12月1日、p.47.〕。 2006年(平成18年)2月3日、柏木興行は、同社が同市内に経営する3館のうち、銚子マリン1・2、銚子ヱイゲキの3館を閉館し、翌2007年(平成19年)2月2日には、当時の同市内最後の映画館となった同館も閉館した〔。2日後の同年2月4日には『男はつらいよ 寅次郎紅の花』を無料上映し、これまでの観客に感謝を表した。建物はその後解体され駐車場となったが、2012年(平成24年)時点ではその一部が一軒家となっている。 当館閉館後、2010年(平成22年)3月16日にグランドオープンしたイオン銚子ショッピングセンター(現:イオンモール銚子)内にイオンシネマ銚子が誕生するまで、同市内に映画館は空白となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銚子セントラル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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