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銚期 : ウィキペディア日本語版
銚期[ちょう き]

銚 期(ちょう き、? - 34年)は後漢の武将。次況(じきょう)、穎川郡郟県(河南省郟県)の人(『後漢書』列伝10・本伝)。光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第12位に序せられる(『後漢書』列伝12)。
==略歴==

更始1年(23年)、劉秀光武帝)が穎川父城を降した際、降将である馮異が同郷の銚期を節義ある者として推挙した。劉秀は銚期を召し出し、賊曹掾に任命して薊(北京近郊)へ従軍させた。
更始2年(24年)、劉秀は薊を脱出して信都郡に至ると、銚期を鄧禹の属官とした。鄧禹は銚期を有能とみて、属官の内ただ独り偏将軍に任命して兵2千人を授けた。河北では王郎軍討伐に功あり、虎牙大将軍を拝命した。また銅馬と称する農民反乱集団の兵数十万と交戦し、苦戦しながらも降伏させた。さらに青犢(農民反乱集団の一つ)・赤眉軍との激戦の末、これを敗走させた。
建武1年(25年)、劉秀が即位すると銚期は安成侯に封じられ、食邑五千戸を授けられた。当時、農民反乱集団の檀郷・五樓が魏郡に入り、また劉玄の部将・卓京が魏郡の豪族を糾合して鄴城で劉秀に反攻しようとしていた。劉秀は銚期を魏郡太守とし、かつ大将軍を兼務させた。銚期は卓京や檀郷・五樓を破って魏郡に平和をもたらした。
建武5年(29年)、劉秀が魏郡に行幸し、銚期を太中大夫に任じた。洛陽へつき従い、さらに衛尉を拝命した。建武10年(34年)、逝去し、忠侯と諡された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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