|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 銭 : [せん] 【名詞】 1. hundredth of a yen
銭 大鈞(せん たいきん)は中華民国(台湾)の軍人・政治家。国民革命軍草創期から活躍した軍人で、蒋介石側近として知られる。字は慕尹。 == 事跡 == === 民初の活動 === 祖父は貢士の家庭に生まれる。1903年(光緒29年)、蘇州長洲高等小学堂に入学し、1909年(宣統元年)、南京の江蘇陸軍小学堂第4期生として進学した。辛亥革命が勃発すると、上海の学生軍に参加している。まもなく、革命派の鈕永建が創設した松江軍政分府松江軍幹部学校に入学し、卒業後は松江軍に加入した。南北和議・北京遷都に伴い、松江軍政分府が解散されると、銭大鈞は蘇州に引き返している。 1912年(民国元年)、銭大鈞は江蘇陸軍小学堂に復学し、同年末に卒業した。翌年、第二革命(二次革命)が勃発すると、銭は鈕永建配下として学生隊・決死隊を組織した。しかし、革命派は敗北し、銭は故郷に隠れ住んだ。1914年(民国3年)銭は鈕の紹介で日本へ留学し、孫文(孫中山)と対面し、感銘を受けて中華革命党に加入している。 同年末に銭大鈞は帰国し、武漢で南湖陸軍第二予備学校で学んだ。しかし、革命派としての秘密活動を展開していたところ、湖北都督王占元に猜疑され、上海へ逃れる。上海では鈕が組織した革命派の軍の結成・練成に従事している。護国戦争を経て銭は湖北省の陸軍小学堂に復帰し、1916年(民国5年)12月に卒業した。その後、保定陸軍軍官学校で砲術を学び、1917年(民国6年)4月、成績優秀のため日本へ派遣され、陸軍士官学校中国学生隊第12期砲兵科で学んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銭大鈞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|