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銭 弘俶(せん こうしゅく、宝正4年(929年)8月24日 - 端拱元年(988年)8月24日)は、十国・呉越の第5代(最後)の王。第2代文穆王銭元瓘の第9子。 北宋の宣祖趙弘殷の避諱により、「弘」の字が略されている文献もある。 == 略歴 == === 誕生から即位まで === 929年(宝正4年)8月24日、呉越2代銭元瓘の9男として杭州功臣堂に生まれる。3代銭弘佐、4代銭弘倧は兄。母は呉漢月。 939年(天福4年12月に内牙諸軍指揮使・検校司空となり、兄弘佐の代に検校太尉となる。 947年(天福12年)3月、台州刺史として台州に赴任する。この際、現地の法眼宗の僧、天台徳韶に面会した際、早く杭州に戻った方がよいと勧められ、10月に杭州に戻る。 同年12月、急激な軍部の改革を恐れた宿将の胡進思により4代呉越王銭弘倧が廃位に追い込まれ、異母弟である弘俶が呉越王に擁立された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銭弘俶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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