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銭 永銘(せん えいめい)は中華民国の実業家・銀行家・政治家。浙江財閥とのコネクションを有する銀行家として知られ、銀行・実業界で活動して国民政府を支えた。字は新之。晩号は北監老人。祖籍は浙江省湖州府呉興県。 == 事績 == === 北京銀行界での活動 === 1897年(光緒23年)、上海育才学堂に入学し、1902年(光緒28年)、省立天津北洋大学で財政経済学を学んだ。翌年、日本に留学し、神戸高等商業学校で学んでいる。1909年(宣統元年)に帰国し、その翌年に公立南京高等商業学校で教鞭をとった。 中華民国が成立すると、銭永銘は陳其美の推薦もあって、北京政府で清の旧農工商部接収事務に携わった。1913年(民国2年)に第二革命(二次革命)が起きると、銭は北京政府を離れ、実業家として活動する。1917年(民国6年)、黄炎培らと共に中華職業教育社の設立に参加した。同年、張謇の紹介により、交通銀行上海分行副経理に就任する。翌年、上海銀行公会会長に就任し、1922年(民国11年)、張が交通銀行上海分行総理となると、銭は協理としてこれを支えた。1925年(民国14年)5月、張、銭ともに職を辞する。銭は翌1926年(民国15年)に四行聯合儲蓄会副主任兼四行聯合準備庫主任に任ぜられた(四行とは華北の塩業・金城・中南・大陸の4銀行をいう)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銭永銘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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