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『鋼鉄の歩み』(こうてつのあゆみ、)は、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)が1927年に上演した2場からなるバレエ作品、またセルゲイ・プロコフィエフが作曲した同バレエのための音楽(作品41)。 == 成立の過程 == 1925年6月にパリで初演された交響曲第2番の不評によって自信を喪失していたプロコフィエフに対し、同年夏、バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフはバレエ音楽の作曲を依頼した。プロコフィエフは、当時バレエ・リュスで成功をおさめていた「フランス6人組」のメンバー(『うるさ方』(1924年)のジョルジュ・オーリック、『青列車』(同年)のダリウス・ミヨー、『牝鹿』(同年)のフランシス・プーランク)のような作品は書けないと断ったが、ディアギレフはプロコフィエフ自身のスタイルで、ソビエト連邦をテーマにした作品を作るように指示した〔リチャード・バックル、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1984年、下巻209ページ〕〔田代薫訳『プロコフィエフ 自伝/随想集』音楽之友社、2010年、106-107ページ〕。 台本は当初イリヤ・エレンブルグに依頼する予定であったが実現せず、舞台美術担当となったゲオルギー・ヤクロフ(1884年 - 1928年)とプロコフィエフが共同で台本を作成した。2人はバレエのテーマを、当時のソビエト連邦で進行しつつあった工業の発展とし、ハンマーや斧を振るう労働者を登場させることで合意した〔バックル、前掲書、210ページ〕〔ただし、プロコフィエフは革命が起こってからは亡命し、1923年からはパリで生活しており、作曲当時はソビエト連邦の実態は直接見ていない(1936年に帰国)。〕。ディアギレフもこれを了承し、『鋼鉄の歩み』のタイトルを与えた〔『自伝』108ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鋼鉄の歩み」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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