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錦木 徹也(にしきぎ てつや、1990年8月25日 - )は、岩手県盛岡市出身で、伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。本名は熊谷 徹也(くまがい てつや)。身長186cm、体重169kg、血液型はA型。最高位は西十両2枚目(2016年3月場所)。 == 来歴 == 地元盛岡の中学(盛岡市立米内中学校〔NHK盛岡放送局制作「おばんですいわて」2015年3月25日放送分より。〕)を卒業して伊勢ノ海部屋に入門し、2006年3月場所で初土俵を踏んだ。同じ岩手県出身で地元の盛岡市に隣接する花巻市出身の四ツ車の話を先代伊勢ノ海から聞かされて自分も関取になろうと思い立ったという。同期生には栃ノ心、松鳳山、境澤、竜電、政風らがいる。前相撲は3番出世。 2008年7月場所で三段目、2010年1月場所で幕下と、順調に出世をしているが、幕下2場所目の同年3月場所は1勝6敗の大敗を喫している。三段目に下がっていた同年7月場所は6番相撲で貴斗志に敗れて6勝1敗となったが、翌9月場所で幕下に復帰すると、以降は幕下に定着。幕下復帰2場所目の同年11月場所は4番相撲で千代の国に敗れたが、6勝1敗の好成績で幕下の優勝決定戦に出場。6人で行われた優勝決定戦では、1回戦で直江に敗れて幕下優勝を逃した。翌2011年1月場所では関取昇進の可能性があるといわれる、幕下15枚目以内の番付に初めて上がることになったが、3勝4敗と負け越した。 2012年7月場所から、それまで本名のままとなっていた四股名を「錦木」と改めた。「錦木」は文化年間に伊勢ノ海部屋に所属していた大関力士の名前で、のちの初代二所ノ関となった、錦木塚右エ門(現在の岩手県北上市出身)から頂いた四股名である〔由緒あるしこ名が復活 盛岡出身の錦木ら精進誓う 岩手日報 2012年7月22日〕。改名した場所で6勝1敗の好成績をあげ、翌場所は1勝6敗となるも、次の11月場所では、土付かずの7連勝とし、幕下優勝を決めた〔【速報】錦木が幕下優勝 大相撲九州場所 岩手日報 2012年11月23日〕。2014年9月場所は場所前に左足首痛でほとんど稽古ができなかったものの、出足が好調で5勝2敗の勝ち越し〔錦木と琴力泉は勝ち越し 大相撲秋場所千秋楽 岩手日報 2014年9月29日〕。この場所から5勝2敗の成績が続き、2015年3月場所は西幕下2枚目まで番付を上げ、7日目を終えて2敗を喫したが11日目に勝ち越しを決め、14日目は西十両14枚目の希善龍と対戦し、吊り出しで破り(敗れた希善龍は負け越した)5勝目を挙げた。これにより場所後の番付編成会議にて、同年5月場所での十両昇進が決定した〔大翔丸と錦木、新十両に昇進 大相撲夏場所番付会議 日本経済新聞 2015年3月25日(2015年3月25日閲覧)〕。「錦木」の四股名での関取は、1874年3月まで錦木繁之介を名乗った大淀谷五郎以来、141年ぶりのことである〔相撲2015年5月号53P、ベースボール・マガジン社〕。岩手県出身としてはおよそ6年ぶり、盛岡市出身としては実に63年ぶりの関取誕生であった〔NHK大相撲中継 2015年5月12日放送分「新十両インタビュー」にて紹介〕。新十両昇進会見では「確定と言われていたけど、本当に上がるか分からなかった。ドキドキしてました。今日、みんなから教えてもらって、やっぱりうれしかった」と笑みをこぼし「実家はあまり被害はなかったんですけど、沿岸部は大変だと思っていたので、被災地復興のためにも元気が出るような相撲を取っていきたい」と東日本大震災の被災者への思いも語った。〔錦木ドキドキ新十両昇進「上がるか分からなかった」 日刊スポーツ 2015年3月25日19時24分〕新十両の場所は西十両13枚目で9勝6敗と勝ち越した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「錦木徹也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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