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錦洋与三郎 : ミニ英和和英辞書
錦洋与三郎[にしきなだ よさぶろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 
: [み]
  1. (num) three 

錦洋与三郎 : ウィキペディア日本語版
錦洋与三郎[にしきなだ よさぶろう]

錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 - 1960年3月1日)は、昭和初年の大相撲力士である。最高位は関脇(関西角力協会では大関をつとめた)だった。現役時代の体格は176cm、111kg。得意技は押し、寄り、掬い投げ
鹿児島県姶良郡福山町(現霧島市)出身、本名は豊平才蔵。井筒部屋に入門し、1917年5月場所に初土俵をふむ。1923年5月、新十両、1925年1月に新入幕を果たす。出足早く、攻めの相撲で鳴らした。1925年5月場所には、前頭12枚目で10勝1敗の好成績を挙げたが、優勝は同じ平幕でも上位の大蛇山酉之助に奪われた。そこから上昇気流に乗り、1927年10月には新小結、1928年には関脇に昇進した。三役を長くつとめたので、金星こそ常ノ花寛市からの1個にとどまったが、大関大ノ里萬助には対戦成績でも勝ち越すなど、出羽海一門を相手によく健闘した。
1932年春秋園事件天竜三郎らに呼応して脱退、天竜らが設立した関西角力協会の中心として活躍し、1934年には同協会主催の1月場所トーナメントで優勝を果たした〔関西相撲の優勝者 古今大角力最高成績者鑑 2015年6月10日閲覧。〕。そして、1937年の解散まで土俵をつとめた。なお実弟も早稲田大学相撲部で活躍した。
== 主な成績 ==

=== 日本大相撲協会 ===

*幕内在位:25場所(うち関脇7場所、小結1場所、脱退の1932年1月も含む)
*幕内成績:137勝101敗3分預23休
*金星:1個(常ノ花)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「錦洋与三郎」の詳細全文を読む




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