翻訳と辞書
Words near each other
・ 錦織駅
・ 錦繡谷
・ 錦華山大五郎
・ 錦葩楼国景
・ 錦蛇
・ 錦蝶
・ 錦衣衛
・ 錦西の血陣 古賀聯隊
・ 錦西市
・ 錦西県
錦谷元五郎
・ 錦輝館
・ 錦輝館事件
・ 錦輝館赤旗事件
・ 錦辺莉沙
・ 錦通
・ 錦通 (名古屋市)
・ 錦郡村
・ 錦部村
・ 錦部郡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

錦谷元五郎 : ミニ英和和英辞書
錦谷元五郎[にしき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [ご]
  1. (num) five 

錦谷元五郎 ( リダイレクト:有明五郎 ) : ウィキペディア日本語版
有明五郎[ありあけ ごろう]

有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 1959年7月20日)は、東京府東京市(現在の東京都新宿区)出身で錦嶌部屋所属の戦前に活躍した元大相撲力士。本名は、金子 元五郎(かねこ もとごろう)。身長171cm、体重111kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭11枚目(1944年5月場所)。有明吾郎とは別人物。
== 来歴 ==
1929年5月場所、錦島部屋から初土俵を踏む。最初の四股名錦谷であった。四つに組むと力を出す相撲であったが、体も硬く勝ち身が遅く、あまり稽古熱心な方ではなかった。新十両1936年1月場所、しかしその後も幕下と十両の間を往復し、新入幕は1941年1月場所、入門から12年も経過していた。幕内でもすぐには勝てず、大負けして十両に陥落。
1943年5月場所に再入幕を果たし、このとき有明と改名した。幕内でもなかなか勝てず、十両に落ちるほどではなかったものの、とうとう幕内在位中の勝ち越しもなく、1945年6月場所には十両に陥落、そこでも負け越しを続け、1945年11月場所限りで現役を引退した。結局、再入幕の1943年5月場所から、引退まで6場所連続の負け越しであった。一方、西前頭15枚目で迎えた1944年1月場所を7勝8敗と負け越しながら、翌5月場所では自己最高位の東前頭11枚目に番付を上げている。これは当時東西制をしいていたことの恩恵といわれている。
引退後は、現役時代から二枚鑑札で襲名していた年寄式秀となり、一時期(1951年 - 1954年)は部屋も興したがすぐに閉鎖、錦島部屋付の年寄として過ごした。色黒で、「エチオピア」というあだ名があったという。なお、34代木村庄之助は、彼の養子である。
余談であるが、伊勢ノ海部屋の序二段玉木良が、2012年7月場所より『有明吾郎』に改名した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「有明五郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.