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鍋島光茂 : ミニ英和和英辞書
鍋島光茂[なべしま みつしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なべ]
  1. (n,n-suf) saucepan 2. pot 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

鍋島光茂 : ウィキペディア日本語版
鍋島光茂[なべしま みつしげ]
鍋島 光茂(なべしま みつしげ、寛永9年5月23日1632年7月10日) - 元禄13年5月16日1700年7月2日)は、肥前国佐賀藩の第2代藩主。
==経歴==
佐賀藩世嗣・鍋島忠直(初代藩主・鍋島勝茂の四男)の長男。母は奥平松平忠明の娘・ムリ(恵照院)。正室は上杉定勝の娘・虎姫(柳線院)、継室は中院通純の娘・甘姫(栄正院、越前松平光通の養女)。子女については下記参照。幼名は翁介元服して将軍徳川家光より偏諱を賜り光茂と名乗る。官位は従四位下、丹後守、侍従。
明暦3年(1657年)、祖父・勝茂の後を受けて藩主に就任する。寛文2年(1662年)、幕府に先んじて殉死を禁止した。
佐賀藩には三支藩(蓮池藩、小城藩、鹿島藩)があり、藩主は勝茂にとって子や弟であったことから、当初は格式の差は無かった。しかし、光茂は支藩への統制を強め、延宝5年(1677年)には、小城藩二代の鍋島直能が藩祖・直茂が称した加賀守を名乗り、光茂に咎められる事件が起きた。また、延宝6年(1678年)には、蓮池藩二代の鍋島直之が、独断で八朔の祝いとして将軍・徳川家綱に太刀と馬代を献上し、光茂はこれも咎めた。さらに、支藩の家臣を陪臣として、露骨な差別待遇を取ったことから、佐賀に在住していた支藩家臣は佐賀を去っていった。三支藩は連名で光茂に抗議したが、光茂は天和3年(1683年)、三家格式を制定して三支藩を完全に支配下に置くことに成功し、さらに世禄制を実施した。元禄4年(1691年)、城内二の丸に聖堂を建てた。武家でありながら歌道を極め、京都の公家で二条流の歌道の宗匠である三条西実教より古今伝授を受けた。元禄8年(1695年)に隠居し、家督を長男・綱茂に譲る。法名は乗輪院殿全機良運大居士。
山本常朝は光茂に小姓として仕え、光茂の死後出家、田代陣基の対談から『葉隠』を生み出した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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