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鍋島 直彬(なべしま なおよし)は、肥前鹿島藩の第13代(最後の)藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の甥。 == 生涯 == 天保14年(1843年)12月11日、第8代藩主・鍋島直永の三男として生まれる。嘉永元年(1848年)9月14日、第10代藩主の鍋島直賢が本家の鍋島直正によって強制的に隠居させられたため、その養子として家督を継いで第13代藩主となった。 嘉永6年(1853年)にロシアのプチャーチンが長崎に来航した際には、警備を行なっている。また、藩校・徳譲館を弘文館と改名して文武を奨励するなどした。万延元年(1860年)12月、従五位下・備前守に叙位・任官する。幕末期は佐賀藩と行動を共にし、直正の命令で朝廷との交渉役を務めている。文久3年(1863年)11月19日に備中守に遷任する。慶応2年(1866年)には幕府に追われていた副島種臣を庇護したりしている。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順した。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で鹿島藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で藩知事を免官されて東京に移った。 明治5年(1872年)8月からアメリカ視察を行なっている。明治9年(1876年)には侍従に任じられ、明治天皇の側近として仕えた。明治10年(1877年)の西南戦争で明治天皇が京都に赴いた際には同行、同年に侍補、翌明治11年(1878年)に宮内御用掛・文学御用掛に任命、明治12年(1879年)4月に初代の沖縄県令に任じられた。明治13年(1880年)に正五位に昇叙、明治14年(1881年)に従四位に叙せられて元老院議官となる。 明治17年(1884年)の華族令で子爵に叙せられた。明治21年(1888年)に帝室制度調査委員に任じられ、従三位に叙せられる。明治23年(1890年)の第1回帝国議会選挙では貴族院議員に選出され、その後も4回にわたって再選を果たした。なお、地元・鹿島などでは病院や学校の設立に尽力している。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。 これらの功績から明治天皇の死後も重用され、大正4年(1915年)には正二位に叙せられたが、6月13日に死去した。享年71。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍋島直彬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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