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鍋島 直縄(なべしま なおただ、1889年5月6日 - 1939年4月29日)は日本の政治家、実業家、華族。 == 生涯 == 1889年に鍋島直大の四男〔コトバンク 鍋島直縄 〕(二男とも〔)として生まれ、1897年に鍋島直彬の養子となる〔上村(2005: 116)〕。1908年に東京外国語学校の独逸語本科に入学し、1911年に同校を卒業するとドイツ帝国に留学した〔。ベルリンを経てドレスデンに移り、1912年10月6日に(現・ ドレスデン工科大学)の林学科に入学した〔。林学や植物学を学んで1914年3月に修了証書を受け取り、続いてミュンヘン大学の林学科で研究を行なっている〔上村(2005: 117)〕。 日独戦争開戦前の同年8月12日にロンドンに移り、数ヶ月間滞在した後にアメリカを経て12月24日に帰国した〔読売新聞、1914年12月25日付朝刊、P.7〕。佐賀百六銀行の頭取を務めた。また、1915年に養父・直彬が亡くなると子爵になり、1925年に貴族院議員に選ばれている〔。1929年に司法大臣秘書官となり、1931年に発足した第2次若槻内閣から犬養内閣で海軍参与官、1936年の廣田内閣から林内閣では内務政務次官を務めた。1937年には貴族院慰問団として定州に派遣されている〔読売新聞、1937年10月7日付夕刊、P.1〕。1939年4月29日に東京府渋谷区代々木上原の自宅で黄疸のため亡くなり〔読売新聞、1939年4月30日付朝刊、P.7〕、長男の鍋島直紹が家督を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍋島直縄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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