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鍾ヨウ : ウィキペディア日本語版
鍾ヨウ[しょう よう]

鍾 繇(しょう よう、)は、中国後漢末期から三国時代の政治家・武将・書家元常豫州穎川郡長社県(現在の河南省許昌周辺)の出身。
曾祖父は鍾皓。祖父は鍾迪。父の名は不詳。子は鍾毓・鍾劭・鍾会。孫は鍾豫・鍾駿・鍾邕(「鍾会伝」)・鍾毅(「鍾会伝」)・鍾峻(「鍾会伝」)・鍾辿(「鍾会伝」)・鍾徽(王渾妻の父『晋書』)・荀勗ら。曾孫娘は鍾琰(字は琰、鍾徽の娘、王渾の妻)。大叔父は鍾敷(鍾迪の弟)。族父は鍾瑜。弟は鍾演。甥は郭援(姉の子)。『三国志』魏志に伝がある。
== 先祖 ==
新唐書』の「宰相世系表」は、鍾繇の先祖を末から楚漢戦争期の将軍鍾離昧とする。昧の次男の鍾離接が潁川郡長社県に移住して、鍾離から一字省いて鍾氏に改姓したとし、鍾接の子孫の鍾皓、孫の鍾迪、その子鍾繇と列挙している。しかし、接から皓までの間に何代もの隔たりがある上、『三国志』「鍾繇伝」注に所引の『先賢行状』および『後漢書』鍾皓伝では、鍾繇を鍾迪の孫とするなど、「世系表」の記述と食い違っており、この系譜は信憑性に疑問がある。
曾祖父の鍾皓は荀淑や陳寔と共に、名士の代表として並び称された人物であり、李膺とも縁戚関係があったが、後漢朝が宦官勢力の台頭により腐敗すると、党錮の禁により名士は弾圧され、祖父の鍾迪は仕官できなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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