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鍾馗 半兵衛(しょうき はんべえ、生年不詳 - 1686年)は、江戸時代前期(17世紀)に実在したとされる日本の侠客である〔''鍾馗半兵衛''、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年8月7日閲覧。〕。鍾馗の半兵衛(しょうき の はんべえ)とも〔今川、p.39-40.〕〔鍾馗の半兵衛 、日本映画データベース、2012年8月7日閲覧。〕。町人出身の江戸の町奴であり、旗本奴と対立した〔。 == 人物・来歴 == 生年月日・生地ともに不詳である〔。 延宝年間(1673年 - 1681年)から、天和(1681年 - 1683年)、貞享年間(1684年 - 1687年)にかけての時期、紅葉安兵衛、手塚十兵衛(手槌十兵衛)、花江六兵衛らと徒党を組み、町奴「鍾馗一家」を構えた〔〔酔多、p.98-100.〕〔林、p.242-252.〕。 旗本奴「大小神祇組」が、御家人であることを笠に着て、江戸市中を我が物顔に振舞うのに、かねてから多くの町人はたまりかねていた〔。そこで、1686年(貞享3年)、桜井和泉太夫を見物するため日本橋堺町(現在の東京都中央区日本橋人形町)の芝居小屋にいた、「大小神祇組」の矢頭藤助と松井新五兵衛を、紅葉・手塚・花江らとともに襲撃し、結果的には矢頭に斬殺される〔〔〔〔、2012年8月7日閲覧。〕〔、2012年8月7日閲覧。〕。正確な享年および没日は不明である〔。このとき紅葉らは負傷し、矢頭はあとから駆けつけた大工半兵衛が討ち取り、松井は逃げ切った〔〔〔〔。同芝居小屋に居合わせた観客たちは大工をかばい、彼らの機転で、町奉行の許へは「矢頭・鍾馗の相討ち」と伝わったという〔。 この事件は、同年10月(貞享3年9月)に幕府大目付・中山勘解由(中山直守)が行った大規模なかぶき者取締りに発展し、旗本奴の無頼集団「大小神祇組」は壊滅した〔、2012年8月7日閲覧。〕〔辭書、p.1104-1105.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍾馗半兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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