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鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時ら坂東武士が鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)に創設した武家政権(幕府)である。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。 得宗家の専制支配が絶頂期を迎える中、執権北条守時の妹赤橋登子の婿足利尊氏が突如裏切り、六波羅探題を攻め落とす。これが発端となり、短期間で鎌倉幕府は滅亡した。 足利尊氏が開いた室町幕府では、赤橋登子の産んだ足利義詮が室町幕府2代将軍となり、北条家の血脈は室町幕府にも受け継がれた。 == 概要 == 鎌倉幕府は、1192年(建久3年)に源頼朝が征夷大将軍(以下、将軍)に任官して始まったとされているが、2006年頃から、頼朝の権力・統治機構はそれ以前から存続しているので実質的な成立は1192年より前の1185年とする新説が、マスメディアを中心に紹介され始めた〔「鎌倉幕府」『大辞林』三省堂。〕〔「鎌倉時代」『世界大百科事典』株式会社日立ソリューションズ。〕。また、「日本で初の武家政権」とされたこともあったが、今では平氏政権に次ぐ武家政権と位置づけられている。 源頼朝は武家政権の成立を明確に宣言したわけではないこともあり、後世の研究家の間に鎌倉幕府の成立時期について論議を生んだ。幕府の成立時期については諸説あり、その理由としては、鎌倉幕府がその武家政権としての体制を整えるまでにはいくつかの段階を経ていることがあげられる(後述)。まず1180年(治承4年)に鎌倉の大倉郷に頼朝の邸となる大倉御所が置かれ、また幕府の統治機構の原型ともいうべき侍所が設置されて武家政権の実態が形成された。朝廷は寿永二年十月宣旨(1183年)で頼朝に対し、東国における荘園・公領からの官物・年貢納入を保証させると同時に、頼朝による東国支配権を公認した。文治の勅許(1185年)では頼朝へ、与えられた諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した。そして1190年(建久元年)頼朝が権大納言兼右近衛大将に任じられ、公卿に列し荘園領主の家政機関たる政所開設の権を得たことで、いわば統治機構としての合法性を帯びるようになり、さらに征夷大将軍の宣下(1192年)がなされた。特に、壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼしたことは決定的であった。こうして鎌倉幕府は鎌倉時代を通じて名実ともに武家政権として成立することとなった。守護の設置で諸国の治安維持を幕府は担当したものの、その支配は限定的であったが次第に範囲を拡大し承久の乱や元寇などで全国的な支配権を確立するに至った。 鎌倉幕府は1333年に鎌倉の北条氏が新田義貞らの軍に滅ぼされて幕を閉じた。この間の約150年間を鎌倉時代と呼ぶ。幕府という武家政権による政治形態は、室町幕府・江戸幕府へと継承された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鎌倉幕府」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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