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鎌倉御用邸 : ミニ英和和英辞書
鎌倉御用邸[かまくらごようてい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かま]
 【名詞】 1. (1) sickle 2. (2) part of a fish around the gills 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [ご, お, おん, み]
  1. (pref) honourable 2. honorable 
御用 : [ごよう]
 【名詞】 1. your order 2. your business 3. official business
御用邸 : [ごようてい]
 【名詞】 1. imperial villa 
: [よう]
  1. (n,n-suf) task 2. business 3. use 
: [やしき]
 【名詞】 1. mansion 

鎌倉御用邸 : ウィキペディア日本語版
鎌倉御用邸[かまくらごようてい]

鎌倉御用邸(かまくらごようてい)は、1899年(明治32年)9月に、明治天皇皇女である富美宮泰宮による避寒のため、神奈川県鎌倉郡鎌倉町大町(現:神奈川県鎌倉市御成町)に造営された御用邸1931年(昭和6年)に廃された。
== 御用邸の造営 ==
明治時代並びに大正時代の鎌倉は、山階宮家、島津・松方両公爵家、前田侯爵家など、皇族華族、政府高官の別荘が存在する海浜別荘地として著名であった。
1894年(明治27年)1月には近隣の葉山に御用邸(葉山御用邸)が造営されており、また、大正天皇英照皇太后による行幸啓が行われるなど、皇族にとって所縁ある地であり、前田侯爵家別荘(現:鎌倉文学館の地)に長期滞在したことのある両内親王(富美宮・泰宮)にとっても、鎌倉は東京から近距離で、社寺や江ノ島、金沢など情緒ある行楽地であった。
1899年(明治32年)、鎌倉御用邸は、国有地や両内親王の養育主任・林友幸などの民有地を買収した約1万8000坪の地に、麻布第二御料地内の殿舎を移築して造営された。4月11日に地鎮祭が行われ、工期は短く、同年9月には竣工する。
1900年(明治33年)、両内親王は1月8日から4月26日までの約4ヶ月間滞在し、これ以後、1月から4月までの約4ヶ月間、避寒を目的として毎年のように愛用した。当時の海浜別荘は海水浴を主目的にしていたが、海水浴をする前例のない皇女にとって鎌倉は避寒の地であり、両内親王は箱根宮ノ下御用邸避暑に利用していた。
幼少期に愛用した両内親王も、1910年(明治43年)に富美宮が朝香宮鳩彦王と、1915年(大正4年)には泰宮が東久邇宮稔彦王とそれぞれ結婚する。元来、両内親王以外に皇族の利用が少なかった鎌倉御用邸は、両内親王の成婚を契機として状況が変化し、1919年(大正8年)に敷地の内1000坪を大正天皇の生母・柳原愛子に貸与されて別邸が建設される等、次第に顧みられることは少なくなっていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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