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鎌原重春 : ミニ英和和英辞書
鎌原重春[かんばら しげはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かま]
 【名詞】 1. (1) sickle 2. (2) part of a fish around the gills 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

鎌原重春 : ウィキペディア日本語版
鎌原重春[かんばら しげはる]

鎌原 重春(かんばら しげはる)は、安土桃山時代武将真田氏の家臣。真田氏の一族で真田信之真田信繁とは義兄弟に当たる。
== 生涯 ==
真田幸隆(幸綱)の弟・鎌原幸定の曾孫に当たる。
天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで父が戦死したため、家督を継いだ〔。天正10年(1582年)3月の武田征伐武田氏が滅亡すると、宗家の真田家に仕えた〔。真田昌幸の一族衆として吾妻郡経営に協力し、昌幸は娘(一説に養女)を嫁がせている〔〔 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.81〕。
天正18年(1590年)、小田原征伐の際には昌幸に従い、後北条氏の家臣・大道寺政繁が守備する上野松井田城攻めで戦死した。家督は子の重宗が継いだ。
重春の夫人は元和5年8月1日1619年9月8日)に死去している〔。
子孫は真田氏の重臣となった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鎌原重春」の詳細全文を読む




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