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鎌田 勝太郎(かまた かつたろう、1864年4月5日(元治元年2月29日) - 1942年(昭和17年)3月28日)は、戦前日本の政治家、実業家、社会福祉事業者。貴族院多額納税者議員(4期)、衆議院議員(1期)。号は淡翁。「塩業の父」とも称される。貴族院政治史上最多の当選回数(4選)の保持者でもあり、貴族院の重鎮としても君臨した。 == 経歴 == 醤油醸造を業とする家に生まれ、三野盤渓に学んだ後上京して慶應義塾大学に入り、在学中に北海道を見聞して帰郷したのちに「快航丸」という船を購入し、「坂出 - 函館間」を結ぶ海運業を興すなど若くして手腕を発揮。醤油醸造によって得た利益を社会に還元することを考え、鎌田育英会をおこして慈善育英事業に従事。 塩業界の富豪としては、宇多津塩田株式会社を資本金三万円で設立し、岡山の野崎武吉郎とも並んで称され、坂出塩産合資会社では、地主による会社として塩・石炭の販売を行い、清への貿易を早い段階で始めた。銀行家としては、第百十四国立銀行の大株主でもある鎌田は、銀行経営に深い関心を寄せ、朝鮮実業銀行社長となり製塩業を対象とする銀行経営に乗り出した。また、塩消費税問題に対処するため大日本塩業同志会を設立。 貴族院政治家としては、曽我祐準、谷干城に近い懇話会系の議員として出発し、平山成信・江木千之らの茶話会に対抗した。その後、1923年(大正13年)の貴族院第46議会に質問演説で貴族院改革の必要を強調。近衛文麿らが所属する土曜会に所属したがのちに、朝日倶楽部を経て政友会系の交友倶楽部に移った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鎌田勝太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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