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鏡山城の戦い(かがみやまじょうのたたかい)は、戦国時代の大永3年(1523年)、安芸国西条の鏡山城で起きた尼子氏と大内氏の戦いである。 == 背景 == 鏡山城は安芸西条(現・東広島市)にある山城で、安芸支配を目論む周防・長門の大内氏が長禄・寛正年間(1457年 - 1466年)に築城し、安芸支配の拠点としていた。 大永2年(1522年)、大内義興は陶隆房を総大将として安芸に派遣〔 厳島神主家の棚守房顕が記した「棚守房顕覚書」による。〕。3月から8月まで5ヶ月間滞在して、新庄小幡(現・広島市西区新庄町)や大塚(現・広島市安佐南区沼田町大塚)を攻めるも、安芸武田軍の防戦により特段の戦果はなかった。 一方、安芸・備後に勢力を伸ばしていた出雲の戦国大名・尼子経久は、義興が九州北部へ出陣へしている隙を突いて、鏡山城を落とすべく西条に進軍。尼子氏に臣従する安芸国人衆らと共に鏡山城の攻略を開始した。なお、吉川氏は有田中井手の戦いの翌年に尼子氏の傘下に入っており、同様に毛利氏も尼子傘下にあった〔毛利氏と吉川氏は姻戚関係があり(毛利元就の妻が吉川元経の妹、元就の妹が元経の妻)、その吉川氏は尼子氏と姻戚関係であった(元経の叔母が尼子経久の妻)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鏡山城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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