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鐐姫は #田安徳川家当主徳川斉匡の八女。鶴岡藩主酒井忠発の正室。本項で主に説明。 #江戸幕府第12代将軍徳川家慶の十二女。1.の従弟の娘。#同名の家慶十二女を参照。 ---- 鐐姫(りょうひめ、1808年7月28日(文化5年閏6月6日) - 1890年(明治23年)12月31日)は、鶴岡藩主酒井忠発の正室。田安徳川家当主徳川斉匡の八女。母は側室の八木氏。松平慶永は異母弟。 文化10年(1813年)、鶴岡藩世子・小五郎(忠発)と縁組。文政12年(1829年)6月23日、22歳で婚儀を挙げた。文久3年(1863年)3月、世子忠恕の未亡人・瑛昌院(山内豊煕の二女)を伴って鶴岡に下り、御用屋敷新御殿に移居した。 83歳で死去し、鶴岡市中新町の酒井家墓所に葬られた。 == 同名の家慶十二女 == 鐐姫(1844年10月2日(天保15年8月21日) - 1845年8月9日(弘化2年7月7日)は、第12代将軍徳川家慶の十二女。母は側室のお琴の方。生後10か月で夭折した。法名は玉蓉院。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鐐姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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