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鐸木 三郎兵衛(すずき さぶろうべえ、1858年4月16日(安政5年3月3日) - 1931年3月8日)は、明治時代の政治家。福島町(現福島市)町長、名誉市長、福島県会議員、衆議院議員(立憲政友会)などを歴任。私財を投じて水道敷設事業や明治14年の福島大火(約1800戸焼失)の復興、福島市の駅前開発などに尽力した。また、福島県庁を郡山市に移転させるという動きがあった際には、福島市の代表として上京し陳情、移転を阻止した。再三の衆議院議員立候補要請を断り続け、晩年は廃寺を買い取って隠居。馬巌(ばがん)という俳号を持ち、風流に興じる一面も持っていた。 == 生涯 == === 出生、改名 === 鐸木三郎兵衛は安政5年3月3日(1858年4月16日)、宮城県刈田郡白石本郷桜小路(現白石市)の金谷武功の次男・金谷正足として生まれた。上京して警視医学校に学んだが、「病を得て廃学」〔馬巌句抄(1941年(昭和16年)3月発行)〕している。 1878年(明治11年)、20歳のときに福島県福島町の鈴木(三郎兵衛)家に養子入りし、その家督を相続した。鈴木家は伊勢の松阪出身とされる、薬種問屋や両替商、飛脚業などを営む商家。当主が代々「三郎兵衛」を名乗っており、正足はその10代目であった。正足の養子入りは9代目三郎兵衛(本名・誠信。俳号の西美が通称)に男子がいなかったためのことであり、伊達郡長岡村(現・伊達市)の芳賀甚七がこれを媒酌した。家督相続後まもなく、三郎兵衛は区内薬舗元締に就任し、翌年に9代目三郎兵衛は隠居〔翌年の1880年(明治13年)に死去している。〕した。 1879年(明治12年)3月、三郎兵衛は21歳のときに福島町会議員選挙に出馬、これに当選した。以後、多数の役職・名誉職を歴任することとなる。この町会議員当選後、三郎兵衛は苗字を「鈴木」から「鐸木」に変えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鐸木三郎兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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