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松波 庄五郎(まつなみ しょうごろう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。新左衛門尉と称す。父は松浪基宗、子に斎藤道三。別名、峰丸〔『美濃国諸旧記』〕・法蓮房〔・山崎屋庄五郎〔・西村正利(勘九郎)〔・長井新左衛門尉。 『美濃国諸旧記』、『美濃明細記』、『土岐斎藤由来記』等、江戸時代に成立した多くの軍記物では、松波庄五郎は斎藤道三と同一人物とされていたが、近年では『岐阜県史』編纂の過程で発見された古文書「六角承禎条書写」によって、美濃の国盗りは道三一代のものではなく、その父の長井新左衛門尉との父子2代にわたるものであったという説が有力となっている。 == 生涯 == === 史料に見る松波庄五郎の来歴 === 「美濃の蝮」の異名を持ち、下克上によって戦国大名に成り上がったとされる斎藤道三の人物像は、江戸寛永年間成立と見られる史書『美濃国諸旧記』などにより形成され、坂口安吾・海音寺潮五郎・司馬遼太郎らの歴史小説で有名になっていた。しかし、1960年代に始まった『岐阜県史』編纂の過程で大きく人物像は転換した。編纂において「春日倬一郎氏所蔵文書」(後に「春日力氏所蔵文書」)の中から永禄3年(1560年)7月付けの「六角承禎書写」が発見された。この文書は近江守護六角義賢(承禎)が家臣である平井氏・蒲生氏らに宛てたもので、前欠であるが次の内容を持つ。 # 斎藤治部(義龍)祖父の新左衛門尉は、京都妙覚寺の僧侶であった。 # 新左衛門尉は西村と名乗り、美濃へ来て長井弥二郎に仕えた。 # 新左衛門尉は次第に頭角を現し、長井の名字を称するようになった。 # 義龍父の左近大夫(道三)の代になると、惣領を討ち殺し、諸職を奪い取って、斎藤の名字を名乗った。 # 道三と義龍は義絶し、義龍は父の首を取った。 同文書の発見により、従来、道三一代のものと見られていたいわゆる「国盗り物語」は、新左衛門尉と道三の二代にわたるものである可能性が非常に高くなった。父の新左衛門尉と見られる名が古文書からも検出されており、大永6年(1526年)6月付け「東大寺定使下向注文」(『筒井寛聖氏所蔵文書』所収)および大永8年2月19日付「幕府奉行人奉書案」(『秋田藩採集古文書』所収)に「長井新左衛門尉」の名が見えている。一方、道三の史料上の初出は天文2年(1533年)6月付け文書に見える「藤原規秀」であり、同年11月26日付の長井景弘・長井規秀連署状にもその名が見える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松波庄五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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