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長井源 : ミニ英和和英辞書
長井源[ながい げん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

長井源 : ウィキペディア日本語版
長井源[ながい げん]
長井 源(ながい げん、1894年明治27年)8月13日〔衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、14頁。〕 - 1966年(昭和41年)9月19日)は、日本政治家三重県飯南郡粥見町出身。戦前の大日本帝国帝国議会民政党衆議院議員。戦後の日本進歩党改進党日本民主党自由民主党の衆議院議員。
==来歴・人物==
三重師範学校(現在の三重大学)を卒業した。三重県内の尋常小学校教員を経て、法律を学ぶため明治大学法学部を卒業した。高等文官試験パス合格)した。衆議院議員に初当選する前のキャリアとして、以下の要職を歴任した。
#弁護士
#三重県議会議員
#第33代三重県議会副議長(昭和8年11月~昭和10年10月の期間内に在任した)
1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙民政党の公認で初当選をした。初当選時は42歳だった。戦前の大日本帝国時代の帝国議会で3回当選。1942年(昭和17年)の翼賛選挙には非推薦候補として当選した。戦後初の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙日本進歩党から4回目の当選を果たして、戦前は民政党(立憲民政党)の筆頭総務となり、第1次吉田内閣の組閣にて文部大臣として入閣するところを、マッカーサーGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の資格審査にかかり公職追放となった。1951年(昭和26年)に公職追放解除になると帰りさき、改進党の重鎮として活躍した。通算6回当選〔廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』(1985年(昭和60年))の169ページ3人目の政治家(当選した国会議員)の「長井源」の項目〕。
1966年(昭和41年)9月19日死去。享年72。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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