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長井館(ながいやかた)は、栃木県矢板市大字長井小字堀之内にあった日本の城(館城(平城))。室町中期築城、文禄4年(1595年)2月8日廃城。長井城、堀之内城とも呼ばれる。 == 概要 == 城は、館を土塁と堀で囲む単郭の簡素な作りの城である。城跡には、それを示す石碑があり、これによれば長井館は室町中期に渡辺駿河守宗綱により築城されたとされる。大字長井の南方の下長井地区には、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した長井次郎安藤太により築かれた下長井館があり、ここから居城を移す形で築城されたと考えられている。ただ、石碑には渡辺駿河守とあるが、駿河守は、渡辺氏の主君である塩谷氏が室町中期頃に名乗っていた官途であり、家臣である渡辺氏が名乗ったとは考えられず、諸記録では、渡辺氏の官途は参河守(三河守)、あるいは信濃守とあるので、これは三河守の間違いである。 城は、長井支配の土豪渡辺氏の居城として機能し、渡辺氏は、佐野沼尻の戦いで佐竹氏と宇都宮氏の両氏から感状を受けるほどの武勲を挙げたりもした。しかし、天正17年(1589年)10月1日には、城は那須勢に攻められて、時の城主の渡辺信濃が76歳で切腹し、一度落城の憂き目を見ている。 そして、主君塩谷氏が永禄4年(1595年)2月8日に改易されると、家臣の渡辺氏も武士を捨て帰農し、城も廃城となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長井館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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