|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 南 : [みなみ] 1. (n,vs) South 2. proceeding south
長南 亮(ちょうなん りょう、1976年10月8日 - )は、日本の男性総合格闘家。山形県鶴岡市出身。TRIBE TOKYO M.M.A主宰。極真空手黒帯。元DEEPウェルター級王者。元DEEPミドル級王者。 ニックネームは「殺戮ピラニア〔それについて本人は「言うと失笑が出るじゃないですか。だから大変迷惑しております」と言っている。本人としてはティラノサウルスに似ているらしい。〕」。強力な打撃が持ち味。プロデビュー後しばらくは、格闘家の傍ら大工もしていた。 == 来歴 == 山形県立鶴岡西高等学校(現・山形県立鶴岡中央高等学校)卒業。高校時代に極真空手山形支部田畑道場に入門。同時期に中型二輪免許を取得し、空手とバイクに魅了される。 バイク整備士を夢見て上京。 アルバイト感覚で始めた型枠大工業にどっぷり漬かってしまいながらも格闘技観戦を唯一の楽しみとして建設業で生計を立てる。その後リングスファンだった縁から田村潔司の主宰するU-FILE CAMPに入門。 2001年、パンクラスのネオブラッド・トーナメント予選でプロデビュー。 2002年3月16日、グラップリング大会であるU-FILE Style-Gの重量級トーナメントで優勝を果たした。 2002年6月9日、DEEP2001 5th IMPACTのミドル級(-82kg)チャンピオン決定トーナメント1回戦で石川英司と対戦し、0-2の判定負け。 2002年12月8日、DEEP2001 7th IMPACTで修斗世界ライトヘビー級(-83kg)王者の須田匡昇と対戦し、1-2の判定負け。 2003年9月15日、DEEP 12th IMPACTで桜井"マッハ"速人と対戦し、ペダラーダで目を負傷させドクターストップによるTKO勝ち。この試合の3週間後にマッハはプライド武士道への出場決定が先行していることに長南は激怒。「最低でも、武士道に出場させない」と宣言し、マッハはこの怪我で武士道出場をキャンセルすることになった。 この後、他の若手との考え方のギャップからU-FILE CAMPを離脱。フリーランスとなった。 2004年、PRIDE武士道に参戦。デビュー戦はヒカルド・アルメイダに判定で敗れるものの、2戦目ではカーロス・ニュートンをKO寸前に追い込み勝利。 2004年10月3日、長南亮後援会主催による「CLUB DEEP 長南祭り」が山形県・三川町民体育館で開催され、興行の最終試合で高瀬大樹とエキシビションマッチを行った。 2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004でアンデウソン・シウバと対戦。劣勢に立たされていたが、3Rに蟹挟みからのヒールホールドで一本勝ち。 2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-のウェルター級(-83kg)トーナメント1回戦でダン・ヘンダーソンにKO負け。この年のPRIDE 男祭り 2005でダンがウェルター級王者を獲得すると同時にアメリカへ渡り、ダンの元で猛特訓を行う。 2006年2月5日、DEEP 23 IMPACTのミドル級タイトルマッチで桜井隆多と対戦し、TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級グランプリ1回戦でジョーイ・ヴィラセニョールと対戦し、判定勝ち。眼下底骨折により手術を余儀なくされた。8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-のウェルター級グランプリ2回戦でパウロ・フィリオと対戦し、一本負け。 2006年10月、元PRIDE広報の女性と結婚〔【素敵な奥さん】元PRIDE名物広報、長南亮夫人・彩子さんが登場!! kamipro.com 2008年10月8日〕〔同上WEBキャッシュ 〕。2007年4月に結婚披露宴を行った。 2007年2月16日、DEEP 28 IMPACTのミドル級タイトルマッチで桜井隆多と再戦し、2-0の判定勝ちを収め初防衛に成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長南亮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|