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長孫紹遠(ちょうそん しょうえん、506年 - 565年)は、北魏末から北周にかけての人物。字は師。小名は仁。本貫は河南郡洛陽県。 == 経歴 == 北魏の上党王長孫稚の子として生まれた。父が揚州刺史として寿春にあったとき、紹遠は13歳で一度読んだ『礼記』月令を暗誦してみせて、その博覧強記ぶりは人を感心させた。司徒府参軍事を初任とし、給事中直に叙せられた。後に河東で戦功を挙げて、東阿県伯に封じられた。冠軍将軍・朱衣直閣となり、宮中で食事を上げる仕事をつとめ、安城県侯に進んだ。 孝武帝の初年、司徒右長史となった。534年(永熙3年)、孝武帝が関中に入ると、紹遠は父とともに帝に従った。535年(大統元年)、西魏が建国されると、中書令に任じられた。まもなく父が死去したため、上党王の爵位を嗣いだ。後に馮翊郡公に降封された。四曹尚書・儀同三司を経て、殿中尚書・録尚書事となった。556年(恭帝3年)、大司楽に任じられた。557年(孝閔帝元年)、北周が建国されると、上党公に封じられた。まもなく京兆尹に任じられた。少保・大将軍・小司空を歴任し、河州諸軍事・河州刺史として出向した。後に小宗伯に転じた。 565年(保定5年)夏、涇州趙平郷で死去した。享年は60。郟中熊邵義五州諸軍事・郟州刺史の位を追贈され、諡は献といった。 子の長孫覧が後を嗣いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長孫紹遠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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