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長宗我部 右近大夫(ちょうそかべ うこんだいふ、天正11年(1583年) - 元和元年(1615年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。土佐国の戦国大名・長宗我部元親の五男。諱は不詳。官位は右近大夫。 == 生涯 == 天正11年(1583年)、土佐国の戦国大名・長宗我部元親の五男として生まれる。母は側室の小少将。異父兄に細川真之、三好長治、十河存保。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に長宗我部氏が改易されると、肥後国の加藤清正に仕えた。また長宗我部盛親の孫・長宗我部盛胤の養育にもあたった。 元和元年(1615年)の大坂夏の陣において豊臣氏に与した兄・盛親が捕らえられたことに連座して切腹させられた。家来の小宮崎久兵衛も共に主君に殉じている。『土佐物語』巻第二十「大坂の陣 盛親兄弟最後の事」によれば、切腹の様を見たことがない右近大夫のため、久兵衛が手本を見せるといって腹を十字にかき切り、「このように切る」というと、右近大夫は笑いながら心得たと潔く切腹したと記述されている。墓所は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長宗我部右近大夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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