|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 宗 : [そう, しゅう] 【名詞】 1. sect ・ 我 : [われ, が] 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego ・ 益 : [やく, えき] 1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
長宗我部氏(ちょうそかべし)は、日本の武家の一つ。平安時代末から戦国時代の武家。本姓は秦氏を称した。家紋は「七つ酢漿草(かたばみ)」。長曽我部・長曾我部とも記される。室町時代以降、通字に「親」を用いた。 戦国時代に土佐を統一し四国に進出した戦国大名、長宗我部元親で有名。 現当主は長宗我部友親(ともちか)。 == 概要 == 土佐国長岡郡に拠った国人の一族で、土佐国の七豪族(土佐七雄)の一つに数えられた。 戦国時代に入って勢力を広げ、長宗我部元親の代で他の豪族を討滅・臣従化して勢力を広げて戦国大名に成長し、土佐一条氏を滅ぼし土佐を統一する。その後も勢力を伸ばし、ほぼ四国統一まで漕ぎ着ける。しかしながら、羽柴秀吉の四国征伐の前に敗れ、土佐一国に減封され豊臣政権に臣従する。その後は秀吉の下で九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役と転戦する。 子・長宗我部盛親の代で関ヶ原の戦いに西軍として参戦・敗北し改易。その後、盛親が大坂の陣で大坂方に味方、敗死したことにより、嫡流は断絶した。他家に仕えるか帰農した長宗我部子孫が、現在に残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長宗我部氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|