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長尾 優(ながお まさる、1887年(明治20年)5月22日 - 1975年(昭和50年)11月11日)は、日本の大正・昭和期における歯科医大学教授・医学博士。東京医科歯科大学学長。香川県出身。 == 生涯 == 1887年(明治20年)5月22日、長尾優は現在の香川県丸亀市に生まれる。丸亀中学校(現・香川県立丸亀高等学校)、第一高等学校を経て1913年(大正2年)12月東京帝国大学医科大学を卒業し、病理学教室を経験した後石原久が教授を務める東京帝国大学医科大学歯科学教室に入局した。1916年(大正5年)9月にはペンシルベニア大学歯学部へ自費留学し、歯科医療技術を学び、また歯科器材の重要性に注目し機材製造会社を積極的に見学し、1918年(大正7年)5月に帰国した〔「医用器材研究所報告(通号9) 故長尾優先生に捧ぐ 増原英一201-202頁」(東京医科歯科大学医用器材研究所 1976年3月)〕。 島峰徹が歯科医長を務めていた東京医術開業試験付属病院(永楽病院)が、1917年(大正6年)医術開業試験の廃止に伴い東京帝国大学附属医院分院(現東京大学医学部附属病院)と文部省歯科医術開業試験病院(1922年(大正11年)歯科医師開業試験規則の実施に伴い歯科医師試験附属病院に改称(通称文部省歯科病院))に分離され、島峰徹が院長を任された文部省歯科病院に長尾は米国からの帰国後参画した〔「技友会 技友会の沿革」http://giyuu-kai.com/history/history.html〕〔。 島峰徹を中心にした官立歯科医学校開設の運動の中で、漸く1928年(昭和3年)10月12日勅令により文部省歯科病院内に東京高等歯科医学校(現在の東京医科歯科大学)が開設され、島峰徹が初代校長に就任した〔「島峯徹先生 第6章帰朝後の先生と永楽病院歯科並びに文部省歯科病院時代」(長尾優著 医歯薬出版 1968年)〕。長尾は米国留学以来歯科補綴学を専門とし、歯学は医学と理工学を両輪として発展すべき学問との信念を持ち歯科理工学講座を新設。また、1938年(昭和13年)には歯科材料研究室(金属床研究施設)を設置した〔。長尾は島峰に師事してからは終始島峰と共に歩み、島峰が、東京高等歯科医学校に医学科が併設されて1944年(昭和19年)東京医学歯学専門学校と改称された直後の1945年(昭和20年)2月10日に死去すると、二代目の校長に就任した〔「群馬県齒科医学会雑誌第15号 51-74 2011年 島峰徹とその時代(一)」(村上徹著 群馬県齒科医学会)〕。1951年(昭和26年)、念願であった歯科材料研究所を文部省の了解を得て設立した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長尾優」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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