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長尾 房清(ながお ふさきよ、生年不詳 - 永正元年9月27日(1504年11月13日)?)は、戦国時代初期の武将。長尾実景の3男で景住、景人の弟。通称は六郎。受領名は但馬守。法名は道存。 次兄・景人の生誕年(文安2年(1445年)とされる)以後に生まれ、景人が臣従していた関東管領で山内上杉家当主の上杉房顕より偏諱を受けて房清と名乗る。 実家の鎌倉長尾氏は景人が継承していたため、弟である房清は長尾氏一門の犬懸長尾家を継いでいたが、文明7年(1475年)に甥の定景が急死、後を継いだ弟の景長も幼い為、房清は景長の後見役を務めた(足利長尾家代々の受領名である但馬守から、景長に譲ることを前提に家督を継いだとする説もある(吉川弘文館『戦国人名辞典』2006年))。しかし、文明9年(1477年)の長尾景春の乱においては、長尾六郎(房清)が主家・山内上杉家(当主は房顕の養子・上杉顕定)に反して長尾景春に味方していたことが、太田道灌の『太田道灌状』に記されている。 長享元年(1487年)11月に扇谷上杉家と山内上杉家が全面戦争を起こした(長享の乱)際にも、房清は扇谷上杉家(当主は上杉定正)に通じた為、下野勧農城を上杉顕定に攻撃された。 明応4年(1495年)、上野金山城主の岩松尚純と家老の横瀬成繁が対立した時、足利勢を率いて出陣し岩松氏を支援している(合戦自体は尚純が隠居、成繁が尚純の子昌純の執事として実権を握った)。永正元年(1504年)の立河原の戦いで戦死したと言われているが、房清は既に死亡しており、その子と混同されたのではないかという説もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長尾房清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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