翻訳と辞書
Words near each other
・ 長尾当長
・ 長尾彰夫
・ 長尾忠彦
・ 長尾忠政
・ 長尾忠景
・ 長尾忠綱
・ 長尾忠行
・ 長尾憲景
・ 長尾憲長
・ 長尾房景
長尾房清
・ 長尾房長
・ 長尾政景
・ 長尾敏広
・ 長尾敬
・ 長尾文庫
・ 長尾文庫・コレクション
・ 長尾新九郎
・ 長尾旬
・ 長尾明希


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

長尾房清 : ミニ英和和英辞書
長尾房清[ながお ふさきよ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [ぼう, ふさ]
 【名詞】 1. tuft 

長尾房清 : ウィキペディア日本語版
長尾房清[ながお ふさきよ]
長尾 房清(ながお ふさきよ、生年不詳 - 永正元年9月27日1504年11月13日)?)は、戦国時代初期の武将長尾実景の3男で景住景人の弟。通称は六郎。受領名但馬守。法名は道存。
次兄・景人の生誕年(文安2年(1445年)とされる)以後に生まれ、景人が臣従していた関東管領山内上杉家当主の上杉房顕より偏諱を受けて房清と名乗る。
実家の鎌倉長尾氏は景人が継承していたため、弟である房清は長尾氏一門の犬懸長尾家を継いでいたが、文明7年(1475年)に甥の定景が急死、後を継いだ弟の景長も幼い為、房清は景長の後見役を務めた(足利長尾家代々の受領名である但馬守から、景長に譲ることを前提に家督を継いだとする説もある(吉川弘文館『戦国人名辞典』2006年))。しかし、文明9年(1477年)の長尾景春の乱においては、長尾六郎(房清)が主家・山内上杉家(当主は房顕の養子・上杉顕定)に反して長尾景春に味方していたことが、太田道灌の『太田道灌状』に記されている。
長享元年(1487年)11月に扇谷上杉家と山内上杉家が全面戦争を起こした(長享の乱)際にも、房清は扇谷上杉家(当主は上杉定正)に通じた為、下野勧農城を上杉顕定に攻撃された。
明応4年(1495年)、上野金山城主の岩松尚純と家老の横瀬成繁が対立した時、足利勢を率いて出陣し岩松氏を支援している(合戦自体は尚純が隠居、成繁が尚純の子昌純の執事として実権を握った)。永正元年(1504年)の立河原の戦いで戦死したと言われているが、房清は既に死亡しており、その子と混同されたのではないかという説もある。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「長尾房清」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.