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長尾 景人(ながお かげひと、文安2年(1445年)〔黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2 P17〕? - 文明4年5月1日(1472年6月7日)は、室町時代後期の武将。山内上杉家の家臣である足利長尾氏の祖。長尾実景の次男。兄に景住(憲景?)、弟に房清がいる。子に定景、景長。通称は新五郎。官位は但馬守。 享徳3年(1454年)12月に父と兄が関東管領上杉憲忠と共に足利成氏に殺害された為、家督を継いで憲忠の弟房顕に仕えて成氏と戦った(享徳の乱)。長禄3年(1459年)の太田庄の戦いにも参戦している。 寛正6年(1465年)、房顕の推挙で室町幕府から下野足利荘の代官に任命され、翌年11月、勧農城に入部した。以後、景人の一族は鎌倉長尾氏から足利長尾氏と呼ばれるようになる。上杉氏はここを拠点にして応仁2年(1468年)の上野綱取原合戦、文明3年(1471年)には下野に出陣、古河城を落としている。景人はこれらの合戦に加わったが、翌年になると成氏の反撃によって足利荘に攻め込まれ、その戦いの最中に死去。享年は28と推定される〔。嫡男の定景が継いだ。 法名は積翁常善居士。墓は栃木県足利市の長林寺。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長尾景人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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