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長尾 景棟(ながお かげむね、生没年不詳)は、室町時代後期の武将。山内上杉家家臣。総社長尾家の長尾忠政の嫡男。弟に良済がいる。官途名は修理亮。 宝徳元年(1450年)の父の没後に武蔵国守護代として享徳の乱では山内上杉氏の一員として戦い、寛正3年(1462年)頃には本領の武蔵国の長尾郷に住んでいたとされ、文明10年(1478年)に没し、養子の長尾忠景が後を継いだとされている(「総社長尾氏系図」)。 ところが、その後の研究で、忠景が景棟ではなく、父・忠政の養子であった事を示す系図(「長林寺本長尾系図」)や忠景の書状(「雲頂庵文書」所収)の存在が指摘され、文安年間(1440年代)には忠景が総社長尾家を継いでいた可能性が指摘されるようになった。このため、景棟・良済の兄弟が家督を継いでいたとしても文安年間には既に没しており、その後に忠景が忠政と養子縁組をして後を継いだと推定されるようになり、従来考えられてきた享徳以降の景棟の事績は全て忠景の事績であったと考えられている〔黒田基樹「長尾景春論」 黒田編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2〕〔山田邦明「長尾景春と長尾忠景」(初出:『日本歴史』600号(吉川弘文館、1998年)/所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2)〕。また、応永33年(1426年)頃の山内上杉氏の家臣奉書に登場する「修理亮」が景棟の可能性があり、一方でこの時期に父親の忠政の山内上杉家家宰としての活動が見られない事〔応永32年(1427年)12月から同34年(1429年)9月まで、忠政の活動が一時的に中断している時期が存在し、その時期に「修理亮」が署名した奉書が登場する(黒田、2013年、P150)。〕から、この時期に景棟が父の職務を代行していた可能性を指摘する説もある〔黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1 〕。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長尾景棟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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