|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 尾 : [お] 【名詞】 1. tail 2. ridge
長尾 景秀(ながお かげひで、生年不詳 - 天正11年(1583年))は総社長尾家の一族。越後上杉氏家臣。父は長尾景総〔総社長尾家嫡流、すなわち長尾顕方の子とする説(「惣社長尾系図」)があるが、同家の下克上(分家である高津家交替)は永正の乱の時のことで、顕方流の動向が不明になってから久しいことから景秀も高津家系の総社長尾家の嫡流とみられている(黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1)。〕。一説に直江信綱の父ともいわれる。通称は平太。 上杉景勝に従い、反乱を起こした新発田重家の居城新発田城を攻めた際に討ち死に。総社長尾家は断絶した(「総社長尾系図」)とされるが、黒田基樹は上杉家の史料より、長尾景総の嫡男(景秀の兄弟か)と推定される「長尾右門」、勝田氏からの養子とみられる「(2代目の)長尾右門」(天正18年没)、その息子である「(2代目の)長尾平太」(いずれも実名不詳)が総社長尾家の家督が継承され、慶長元年(1596年)の(2代目)平太の死去によって断絶したとしている〔黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1〕。 == 脚注 == 〔 かけひて category:戦国武将 category:1583年没 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長尾景秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|