|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 尾 : [お] 【名詞】 1. tail 2. ridge
長尾 顕忠(ながお あきただ、?-永正6年1月9日〔参考文献として用いた『戦国人名辞典』・黒田論文ともに同日を没日とする。〕(1509年1月29日))は、戦国時代初期の武将。山内上杉家家宰。長尾忠景の嫡男。受領名は修理亮・通称は孫五郎。子に長尾顕方室・上杉朝良室がいる。 顕忠の名は上杉房顕か顕定の一字を得たとみられている。文明12年(1480年)に秩父郡にて上杉軍の将として長尾景春と交戦(「太田道灌状」)する。程なく総社長尾氏の家督を継いだとみられている。長享の乱の時には山内上杉家の家宰として同軍の中核となり、上杉朝良・伊勢宗瑞らと戦う(なお、顕忠の娘は朝良の室になっているが、顕忠の没後のこととみられる)。晩年は武蔵国杉山城を居城にした可能性がある。 永正2年(1505年)に京都の三条西実隆に和歌の添削を依頼していることが知られている〔『実隆公記』永正2年2月4日条〕が、他にも万里集九・猪苗代兼載など多くの文化人と交流があった。程なく没したとみられるが、永禄6年1月9日(「惣社長尾系図」)・永正2年1月7日(「赤城神社年代記録」)はともに誤りで、「永禄」は「永正」の誤記であるとみられている。男子がいなかったため、甥の顕方が娘婿として家督を継承した。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長尾顕忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|