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長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は日本のフリーアナウンサー。競馬ジャーナリスト。 == 来歴 == 旧満州・奉天生まれ。日本へ脱出する為の船が停泊する上海に向かう途中の列車の中で、終戦を迎えた。小学4年から6年にかけてはNHKラジオの番組で、児童合唱団の一員として3年間活動。武蔵中学校・高等学校、千葉大学文理学部を経て、1961年に日本短波放送へ入社。プロ野球志望だったが、アナウンサーとして主に中央競馬実況中継を担当し、1962年1月の東京開催でデビュー。GI(八大競走)初実況は1963年の桜花賞(勝馬:ミスマサコ)。大阪支社に4年間勤務後、メキシコオリンピックの中継班となった事を理由に、再び本社勤務となる。日本ダービーのレース実況を、1971年(勝馬:ヒカルイマイ)から1986年(勝馬:ダイナガリバー)まで16年連続で担当した。 競馬マスコミに携わる傍らで、たんぱストレートナイターやヤロウどもメロウどもOh!にも出演し、聴取者投稿による詩の紹介を番組化した「私の書いたポエム」を1975年からセルフプロデュースで開始。大橋照子と共に出演し、30年を超える長寿番組として現在も出演している。 1987年に日本短波放送を退社後は、番組制作会社のマイ・プランに所属。引き続き競馬に携わっており、自身が担当した「中央競馬ワイド中継」では、東京と中山のメインレースを実況。日曜日の番組内第2部冒頭で、メインレース映像と共にその名調子を披露してきた。それ以外には、地上波キー局で中継出来ない代替放送時を実況をしている。 2012年5月までは、『LIVE&REPORT 中央競馬中継』にて中山メインレース(重賞競走)の実況を担当していた〔「中央競馬ワイド中継」では映像を番組独自で撮っていたが、当番組ではJRA公式映像に合わせて実況を行なっている。また宇野が司会担当時は実況はせず、JRA公式映像にラジオNIKKEIの音声を加えた物が流れる。〕ほか、携帯電話各社の公式サイト「競馬総合チャンネル」で、長岡が実況する、東日本主場の日曜メインレース実況を動画配信している(競馬映像コース、有料)。 現在、70歳を過ぎて競馬実況を務める唯一のアナウンサーである。過去には彼の他にも杉本清や樋口忠正が70代まで実況を務めていた事はあるが、いずれも2008年の日本ダービーをもって勇退している。 また、いやだ・ようの筆名で「アチャラカ王国物語 」なる小説も執筆したことがある。 週刊競馬ブックにて「マイクエッセー 競馬つれづれ帳」を連載したこともある(2006年3月6日発売号まで。丁度1000回目で終了した)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長岡一也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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